恩師のご著書「思いの中に生きる」より
亡くなった方に対する思い方
私たちが亡くなったお方に対してどういう思い方をするかですね。
これをよく思い違いをするのです。
もう年も九十、百近くになって、
「もう、あんた、ええかげんに死んどくなはれな」
「いやあ、そんなこと言うても、わしゃ、まだ死なれんわ」と言える、
そんなところまで生きた人は別ですけれども、
まだ所帯盛りの連れ添う方の亡くなった場合、特に女の方、まあ男の方も一緒ですけれども、
「お父ちゃん、私らに付いて下さい。そして、私らを守っといて下さい。
どこも行かんとこの仏壇の中におって下さい」と言って、よく拝まれるのですね。
これはとんでもない間違いです。
そのように祈っていたいのは人情ですけれど、そういう祈りをしますと、
亡くなった人の邪魔をすることになるのです。
私らは亡くなったら、物質の世界(仏教では「色の世界」といっています)、
この現れた世界から、今度は目に見えない世界へ帰らなければなりません。
実在の世界、あの世の世界へ帰らなければなりません。
ところが、あの世へ帰ろうと思って旅立とうとするのですけれども、
生き残った者が、「おって欲しいんや。付いていて欲しいんや。私ら守って欲しいんや」
というような願いをしますと、
行こうと思っている人の足を引っ張る結果になっているのです。
旅立ちの邪魔をしているのですね。
側に居て欲しいのは人情ですけれども、言ってみれば自分の我欲です。
守って欲しい。付いていて欲しい。寂しいから側に居て欲しい。しかし、
自分の我欲のために、亡くなった方が迷ってもいいということは言えません。
自分のために大事な人を迷わしたら大変です。
~ 感謝・合掌 ~