恩師のご著書「思いの中に生きる」より
尊い親の存在
先の続き・・・
私の二十歳位の時でした。
私は十六歳から家を出ました。
好い恰好をして、
「独立するから私を家から出してください」とお願いしました。
お父さんから何回も「家で百姓をして後を継いでくれ」と言われていました。
私の十歳上の兄さんが軍隊から復員してきましたので、
私の必要が家ではないと思いまして、「家を出してください」とお願いしたのです。
その時、お父さんは十六歳の私を捕まえまして、「よっしゃ。お前も男の子。
一旦家を出たからには外の飯が辛いからといって家に帰っても、
家の飯は絶対に食わすことならん」こんなに言われたのです。
私は「それでも結構です」といって、家を飛び出しました。
それで、その間、いろいろと苦しいことやら、迷いのことがありました。
その二十歳位の時に,今にしてして思えば大きな迷いではなくても、
その当時はそれが精一杯の迷いでした。
それで、どうすればこの迷いの中で間違いのない道を進めるのか、
それを追求していました時に、お父さん・お母さんに最も喜んでいただける方を選ぶべき
ことに気が付きました。
そして、お父さん・お母さんが喜んでくれる方を人生の羅針盤として進みますと、
何かにつけてうまくいきました。
親が心配してくれる方を選べば必ず失敗します。
これは、親の心は神の心だからです。
だから、「何事も 父母の心の 安かれと 祈りつ我は 事を行う」―――
私の二十歳の時の短歌です。
~ 感謝・合掌 ~