恩師のご著書「思いの中に生きる」より
救われるということ
先の続き・・・
このお話もよくするのですが、
九十何歳のおばあちゃんが亡くなられた時のことです。
生きておられた時に、
そこの息子さんが「先生、私の母親は、こんなん言うたら恥ずかしいんですけど、
死にはったら絶対に間違いなしに地獄へ行きます。
そやから何とか地獄に落ちんようにしてもらえへんか」と言われますので、
「しかし、そんな九十過ぎたようなお年寄りに、私らみたいな仕様のない者が
お話しても聞いていただけません。
だから、その時になれば何とかしましょう。必ずその時が来ます」と言って
帰っていただいたのです。
それから一、二年しましたらその時が来ました。
あの世に帰る時は、私たちのこの世の生活の総決算をしなければ帰れないのです。
その決算は何によってするか。
それは苦しみをもってします。
過ちが多いほど苦しみが大きく現れます。
そして、その苦しみの世界へ帰って行くのです。
そのおばあちゃんがいよいよ入院されました。
息子さんがまた見えまして、「子供が交替で看病についているんですけど、
その苦しみをもう見るにしのびません。
何とか助けてください」とおっしゃる。
ものすごい苦しみが襲ってきたのですね。
そこで、「それじゃあ、私のお話会のテープ、いつのテープでも一緒です。
どこのテープでもよろしいからそのおばあちゃんに聞かせてやってください」
(まあ、いつもどこのお話も皆一緒。というのは、
私は同じことばっかりしゃべっております。で、
この間も東京から電話がありまして、「先生のテープ
聞かしていただいているんやけど、
最初の間はこの先生どこへ行っても同じことばかり言ってはると思った。
しかし、何回も何回も聞かしてもろたら、
だんだんとこりゃすごい話やとわかってきました」と言われました。
だから、どのテープでもいいのです)と言いますと、
「そんなもん聞ける状態と違います」
「表面の意識が聞かなくても私たちの内在された潜在の意識が聞いて
くれはります。
だから、声を小さくしぼってもいいから耳元でかけてやっといてください」
そうしますと、
「アー、苦しい、痛い」と言ってのたうちまわっている人ですから、
最初はそんなもの聞けませんが、そのうちだんだん痛みがおさまってきたのです。
そして、その苦しみがおさまると同時に、
「アー、己が悪かったー、己が悪かったんじゃー」と言って泣き出したそうです。
たまたま「己が悪かったー」と泣いているところへ母屋の息子さん夫婦が尋ねて見えたそうで、
部屋に入って来るなり「己が悪かったー」と言われるから、
息子さんは、自分のことを言われていると思って「ほんまにクソババァ、
死ぬまで己が悪いちゅうて」と言われたそうです。
それで、テープを持って行ってくれた方が「いや、兄さん違うんです。
このテープ聞かせてもろてから、おばあさんが『自分が悪かった。
自分の生き方が悪かったんや』言うて泣き出してん」と説明されると、
お兄さんもやっと安心されて、
「アー、よかったなァ」と喜ばれたそうです。
~ 感謝・合掌 ~