恩師のご著書「思いの中に生きる」より
調和と中道
先の続き・・・
お釈迦様の悟りのきっかけになったのは、
弦の音は 強く締めれば糸は切れ
弦の音は 弱くては音色が悪い
弦の音は 中ほどに締めて音色がよい
音に合わせて歌えや 歌え
歌に合わせて踊れや 踊れ
という、チュダリア・スダータという少女の歌声でした。
そういうインド民謡があったのですね。
お釈迦様が、厳しい厳しい、もう今まさに肉体の命が絶えんとするほどの
厳しい行をなさって、ある日ネランジャ川に顔を洗いに行かれましてフト
水面をのぞかれましたら、九十、百のお年寄りもなお衰えた自分の姿を
見られたのです。
そのとき、「あっ、これだったらもう自分は死んでしまう。
しかし、死んだらもう自分は悟ることができない」と思われたのです。
『仏陀苦行像』という像がありますけれども、それを見せていただいたら、
もう本当に涙が出ますね。
後光はきれいに出ていますけれども、肋骨の一本一本、そして、その肋骨の
上を這っている血管まで出ています。
顔でも全くもう骸骨の顔になっています。
目は落ち窪み骸骨みたいですね。
ところがまた、あの彫刻を作られた方も名工だと思います。
骸骨が座っているようなのに、
何とも言えない慈愛、慈悲に溢れたお顔に見えますね。
あれを見せてもらいますと、どうしても涙が止まらなくなります。
それほど厳しい行をなさって、そして、「このままいっては死ぬ。
死んでは悟れない」と思われた時、川上の方からその歌声が流れて来たのです。
その時、お釈迦様の気持ちの中では、
もう本当にこれは天女の教えだと聞かれたのです。
そして、「私は今までお城の中の王子としてあった時、穴蔵の中へ入って
千度禅定・瞑想したけれどなお悟れなかった。弦の糸が強ければ切れる。
今まさに自分は厳しく締めすぎた糸が切れる寸前だ」ということを悟られた。
それでお釈迦様は、苦行を一切放棄され、
中道の道を歩むことをお悟りになったのです。
~ 感謝・合掌 ~