恩師のご著書「思いの中に生きる」より
何事も 父母の心の安かれと 祈りつ我は 事を行う
そのように、自分の人生の迷いがある時は何をするにも、
お父さん・お母さんの心安かれと喜んでいただける方に進めば、
狂いのない人生航路が約束されます。
これは私の体験です。
私はできるだけ両親に喜んでいただけるように努力してきました。
しかし、その中で、親に心配をかけたくないのに、
自分に与えられた環境のために心配をかけたこともありました。
私は四十五歳の時に先の家内を亡くしました。
これは親にさせたくない心配でした。
ものすごく親不孝をしたと思います。
それでも母親は母親ですね。
もう八十を過ぎておられまして、
お父さんの看病を三年程してくださいました。
お父さんが無事にあの世に帰られましたら、
もうすることが無くなりましたから、おこたに入って背を丸めて、
「早うお迎え欲しい。早うお迎え欲しい」と、
口癖のように言っておられました。
今から十二、三年前です。
私の家内が亡くなりまして、或る時、
田舎の兄さんに車に乗せてもらって訪ねてくれたのです。
私はもう全く食うや食うわずで、
家内が二人の子をのこして突然あの世に帰りましたから、
まあ下手な御飯を一生懸命炊くのですが、炊いたことがないから
うまくいきません。
おかずも買いに行ったことがないけれど、
買いに行って下手な料理をして、
子供たちに食べさせて、まあまあ食うや食わずの生活をしていたのです。
その姿を見られたお母さんが、「これは私が行ってあげんと、
あの子は駄目になる。
私が行ってあの子を助けてやらないかん」と思って、
私の所に来てくださったのです。
今まで「もうお迎え欲しい、お迎え欲しい」と言っておられたお母さんが、
「私はここの子供二人を片付けてやらなあかん。
片親ないんやから私が母親替わりになって、この子らをちゃんと片付けなあかん。
そのためには自分が健康におらなあかん。
こりゃ、うっかりお迎えもろたら具合悪い」といって、
お迎えを返上されたのです。
今年は九十二歳です。
そして、本当にピンピンしてくれています。
今でも針に糸はちゃんと通しますし、縫い物もして下さいます。
もう動作なんかも若い人と変わらない位です。
そして、「一日一善を積ましてもらうんや」といって、
私の所のお客さんの按摩をして下さいます。
一つでも善い行いを積む実践をして下さいます。
親とは、この上なく尊い有難い存在です。
~ 感謝・合掌 ~