神戸シュタイナーハウスで、
カロリーネ・フォン・ハイデブラントさんの本
「子どもの体と心の成長」を読み終えました。
著者は“生まれながらの教育家”とシュタイナーが絶賛した人で、
わりとやさしい語り口で書いてあります。
と言っても、わからないことも多く、
クラスで「これって、こういうこと?」と確認すると、
「そっか! じゃあ、こういうのもソレかな?」と、話が膨らんでいくので、
何人かで読むとおもしろさも数倍ふくらみます。
それぞれが順番でチューターとなって、
自分はこう読んできた、とか、感想とか、疑問とかを
本文に沿って自由に話し、それにみんなが乗っかって、
だんだん本文から外れて誰かの生活に降りて来る、という形式で進めました。
読み終えた時「ふぅっ」という幸せなため息と共に、Kさんが
「出会えてよかった!」とおっしゃったのが、とても印象的でした。
私がこの本を読んで、もっとも深く印象に残ったのは、
「子どもに完成品を与えない」ということでした。
それまで特に深く考えず、
シュタイナー関係者のオススメするものがステキなので、
クレヨンでも、おもちゃでも、人形でも、
そういうものを、少しずつ集め、使ってきました。
なぜみなさんがオススメされたかというと、
もちろん、いいもの、ていねいに作られたもの、本物
というのもあるのですが、それ以上に
「完成品」じゃなくて「工夫の余地があるもの」だから、
というのも理由のひとつじゃないのかな、と思いました。
ゲームやテレビやリアルな人形などが、
なぜ子どもにふさわしくないのか、というと、
決められた通りにしか遊べないから、でしょうか。
創造主(メーカー)の意図どおりでしか遊べないから。
「子どもは、育ちゆく存在だ。
スピードは子どもにはとても及ばないけれど、
大人だって、少しずつ育っていく存在だ。
だから、完成品を与えるより、一緒に自由に発展させていこう」、
という主張が、とてもしっくりきたのでした。
人が自由になりゆく存在なのだとしたら、そして、
教育の目的が、人を自由に向けて育むことだとしたら、
人は、創造主(神)の意図どおりにしか動けない、わけがない。
自分が決めたより高い目標に向けて自分を動かすことこそ、自由。
そう思うと、やっぱり、
創造主(メーカー)の意図どおりに動く予行演習をすることで、
子どものやわらかい思考回路に
「創造主の言いなりで動くのが一番おもしろい」
と刷り込まれるのを、なるべく避けたいな~と思うのでした。
素材を一緒に発展させていく。
美しい絵を与えるのもいいけど、
目の前で下手な絵を描いてみることの価値。
上手に音楽を奏でるのもいいけど、
だんだん上手になっていく過程を一緒に経験する価値。
その素晴らしさを、自覚しておきたい、
それなら、今の自分でもできる、と思ったのでした。
カロリーネ・フォン・ハイデブラントさんの本
「子どもの体と心の成長」を読み終えました。
著者は“生まれながらの教育家”とシュタイナーが絶賛した人で、
わりとやさしい語り口で書いてあります。
と言っても、わからないことも多く、
クラスで「これって、こういうこと?」と確認すると、
「そっか! じゃあ、こういうのもソレかな?」と、話が膨らんでいくので、
何人かで読むとおもしろさも数倍ふくらみます。
それぞれが順番でチューターとなって、
自分はこう読んできた、とか、感想とか、疑問とかを
本文に沿って自由に話し、それにみんなが乗っかって、
だんだん本文から外れて誰かの生活に降りて来る、という形式で進めました。
読み終えた時「ふぅっ」という幸せなため息と共に、Kさんが
「出会えてよかった!」とおっしゃったのが、とても印象的でした。
私がこの本を読んで、もっとも深く印象に残ったのは、
「子どもに完成品を与えない」ということでした。
それまで特に深く考えず、
シュタイナー関係者のオススメするものがステキなので、
クレヨンでも、おもちゃでも、人形でも、
そういうものを、少しずつ集め、使ってきました。
なぜみなさんがオススメされたかというと、
もちろん、いいもの、ていねいに作られたもの、本物
というのもあるのですが、それ以上に
「完成品」じゃなくて「工夫の余地があるもの」だから、
というのも理由のひとつじゃないのかな、と思いました。
ゲームやテレビやリアルな人形などが、
なぜ子どもにふさわしくないのか、というと、
決められた通りにしか遊べないから、でしょうか。
創造主(メーカー)の意図どおりでしか遊べないから。
「子どもは、育ちゆく存在だ。
スピードは子どもにはとても及ばないけれど、
大人だって、少しずつ育っていく存在だ。
だから、完成品を与えるより、一緒に自由に発展させていこう」、
という主張が、とてもしっくりきたのでした。
人が自由になりゆく存在なのだとしたら、そして、
教育の目的が、人を自由に向けて育むことだとしたら、
人は、創造主(神)の意図どおりにしか動けない、わけがない。
自分が決めたより高い目標に向けて自分を動かすことこそ、自由。
そう思うと、やっぱり、
創造主(メーカー)の意図どおりに動く予行演習をすることで、
子どものやわらかい思考回路に
「創造主の言いなりで動くのが一番おもしろい」
と刷り込まれるのを、なるべく避けたいな~と思うのでした。
素材を一緒に発展させていく。
美しい絵を与えるのもいいけど、
目の前で下手な絵を描いてみることの価値。
上手に音楽を奏でるのもいいけど、
だんだん上手になっていく過程を一緒に経験する価値。
その素晴らしさを、自覚しておきたい、
それなら、今の自分でもできる、と思ったのでした。
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