常々、不思議に思っていた。
昔からある定型の詩のことを
中国では「五言絶句」や「七言絶句」と言い、
日本では「短歌」や「和歌」なんて言うことを。
かの国では、詩を読むのを絶句すると言い、
日本では歌い出すって表現するんだね。
今日、10代から50代までのファイトソングを
いろいろ紹介する音楽番組を見ていて、
(そして久しぶりにテレビの前で歌っていて)
気付いた。
中学生の子どもが好きな歌のスピードと、
私の好きだった歌のスピードが、
ほんの30年ちょっとの間に、
すんごい変わっていて驚いた。
私の若い頃の歌は、歩く速さのアンダンテ。
今の歌は、絶叫系多数。
早口言葉みたいなのやラップみたいなの。
一音に乗せる言葉数が、めちゃくちゃ多い。
私たちの時は、音楽の教科書みたいに、
1小節に4つ音符が入っているようなテンポ感。
さらに遡って、私たちの親世代の歌は、
こぶしなんかも、めいっぱい回しちゃって、
1小節4音どころか、2小節くらいまるごと使って
「あなた~~」だけしか言ってなかったり(^^)。
でさ。ふと気づいたんだけど、
日本の昔の短い詩は、
今でこそ印刷されたのを目で読むけど、
昔は実際に、声に出して歌う歌だったんだ。
そう。百人一首をはじめて聞いた時、
不思議な節回しが心地よかったのよ。
あれ、2回繰り返して読むじゃない?
言ってみれば、より印象付けるために、
1番と2番の歌詞が同じなのよ。
サビは何度でも同じ言葉を繰り返すのに似ている。
情景に入っていくためのリピート。
大正や昭和時代には、和歌だけじゃなくて、
子ども向けの詩にも西洋音階がついている。
もともと日本の詩って歌い上げるものだったから、
詩とメロディとの合わせ技で、楽しかっただろうな~。
今で言うと、歌が上手いだけじゃなくて、
ビジュアルもダンスも絶品!みたいな(^^)。
夕焼小焼の赤とんぼ、負われて見たのは、いつの日か。
山の畑の桑の実を、小籠に摘んだは幻か。
十五で姐やは嫁にゆき、お里のたよりも絶え果てた。
夕やけ小やけの赤とんぼ。止まっているよ竿の先。
うん。めちゃくちゃ哀愁あるし、風景浮かぶ。
状況がわからんなりに「姐や、帰ってきて~」とまで思う。
メロディつけてなくても、
十分に詩として流通できるようなのが、
ぃっぱい歌になってる。
解説本を読めば、意味は理解できるけど、
同時に、実際にあの節回しで歌ってみることで、
和歌に歌われた世界を自分でたっぷり感じ、
脳内アニメとして描く助けになるに違いない!
日本語は母音が多いし、
ゆったりした添付の歌と、相性が良かったのね。
あ! 名文の音読とかも定着したよね。
美しい言葉を口に出してみる時、
「日本語っていいなぁ~」っていつでもちょっと心地よい。
朝。好きな詩を書き出してるノートを
久し振りに開いて、ゆっくり口にしてみようっと。
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