何か月か前、
人から裏切られて傷ついた人から、
「あの~、失礼な言い方になったら申し訳ないんだけど、
あなたを信用していいのかな?」と聞かれた。
なんだそれ。ヘタクソッ! 思わず苦笑したわ。
その問いは、なんというか幼くて、
冗談として笑い飛ばしてあげたけど、
大人としては、十分に失礼やぞーー!
そんな事、本人に聞いてどうする?!
あ、アレと似てる
「私は嘘つきです」っていうヤツ。
嘘つきのパラドックス。
私が「私は信用できませんよ」って言ったとして、
私が信用に値しないなら、
その私が正直に申告してるから、信用に値するし、
私が信用に値するなら、
その私が嘘をついてるから信用できない人間だ、という。
そのくらい、ナンセンス。
とは言え、まぁ、
その時はなんか気分がギリギリで、
謎の発言をしちゃったんだろうけどね。
そうやって無駄な警戒をするより、
アナタが「裏切り」と感じるのは、
どーされることか、を伝えてくれた方が、
こっちも対処の仕様があるってものよ。
で、聞いてみたら、
なかなか無理なことを望まれた。
う~ん、全面的には難しいから、
出来る範囲でやるね。
人間関係を作っていこうとするなら、
「相手が信頼に値するかどうか」を判断するより、
「自分は相手を信頼する」と決めるかどうか、
じゃないかな。
つまり、偶然の出会いに委ねて、
「イイ人に出会えた。ラッキー」とか
「なんか裏切られそうでコワイ」っていうより、
もし、一緒にやっていく気なら、
「この人まるごととつきあっていこう。
イイトコもワルイトコも、いろんな面を知っていこう」
って決めること。
ホントは信頼関係を作っていきたいけど、
ふと不安になって及び腰になったのかな?
私はプログラム済みの機械じゃないんだから、
アナタとの関係性の中でつきあい方も変わっていくよ。
偶然性に任せず、意志の力を働かせることで、
私を信頼していくこともできるし、
嫌なら付き合わないこともできる。
人間関係って、意志の力を鍛える
トレーニングジムみたいなものよね~。
筋肉と同じように、意志も鍛えられるはず。
付き合っていくなら、なるべく楽しくやりたいな。
幸い、そこは共通点。
誤差みたいなことを気にしてないで、
楽しくやりたいなら、違いも楽しみましょー。
お互い、ふぁいと~!
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