こないだから、みんなで話して楽しい問いって
どんなのがあるかな~と、
あれこれ頭の中で転がしていました。
今まで神戸シュタイナーハウスの
「中学生のハローワーク」に来てくださった
ゲストの方たちのお話からも、
いろんな問いが生まれました。
たとえば、最近では、
障がい 「障がい者はかわいそう?」
とかね。
問いが生まれると、答えたくなるのが人情。
誰かの答えは、他の誰かの答えではないし、
答えはひとつじゃなくていい。
それぞれが、コラボレーションしながら、
自分なりの答えに向かって考えていきます。
そんな問いをいろいろ考えていたら、
他にも、いろいろ問いが生まれてきました。
教育 「ゴールはあるの?それはどこ?」
常識 「“常識でしょ”は、なぜムカつく?」
芸術 「不要不急。芸術の役割って何?」
…などなど
なんかね~、こういうのって、
ホントに人間ならでは、だよね。
ごはんのいっぱいある場所はどこ?とか、
安全に眠れる場所はどこ?とかを越えて、
私の自我が求めているものは何? を考える問い。
どうせ誰かと一緒に考えるなら、
どんな立場の人でも自分の体験から考えていける問いで、
人生を豊かにするような問いにしたいな、
と思いながら、問いのリストを見てふと気づいた。
「そんなの、常識でしょ?」って言われてムカつくのは、
一般的な事なのかな?? そうでもない?
私は、それと同じくらい
「非常識でしょ」って言われてもムカつく。
と気づいて、楽しくなった(^^)。
「なんだ、私、
常識も非常識もイヤなんだったら、
“常識”を基準にする事自体が
イヤなんだ」って。
だって、常識なんか
服の流行みたいなものだもの。
着るものって、
国や時代や年齢や気温で変わるし、
今年、ココでは大勢がそれを着てる、
っていうだけの話で、
個人の中身はそれとは別だもの。
…くらいのことを、
「常識も知らないなんて、バカだ!」
みたいに言われたら、なんか、
それ以上話すのがめんどーになるんだよね…。
流行りの服だけじゃなくて、
自分なりにあれこれ楽しめばいいと思うわ~。
常識は人が公と関わる実践的感覚
非常識は公私の無分別
芸術はあくまで私的な営み
もし迷惑だと思うならやめますから、その時は遠慮なくおっしゃってください。
その為のコメント欄でしょうから。
朝のコメント、同じ意味でソフトに書き換えてみました。お互い、せっかく書くなら、まっすぐ伝わるといいですね!