『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

本音を言えるかどうか、とな?

2022年10月03日 | 哲楽cafe
本音を言えるかどうか。
そんな話をしていた。

私は、相手次第。
私の考えを聞きたい様子なら言うけど、
同調して欲しそうな時は、言わない事も多いなぁ。

「本音が言える関係」みたいな言い方をする時、
それはとても仲良しで信頼できる相手、
という暗黙の設定になってる。

けど、どんなに仲良しで信頼できる相手でも、
自分がラクになるために本音を言いたいなら、
それって、エゴじゃないかな~と思ったりした。

ものすごく仲良しの相手でも、
あえて本音を言わない時ってあるよね。

相手が弱っている時に、
「アンタにも責任あるんちゃう?」
とは言いたくない、みたいなこと。

大事な人と別れた人に、
「あんなヤツと分かれて良かったやん」
と、本音で思っていたとしても、
何も言わずに、同じ空間にいてあげたい。

本音って何だろね。
「本音の言える関係」って言ったって、
自分の思っていることをそのまま言うのがいい、
みたいな、雑なこと、したくないな。

自分の思っていることは、
自分でわかってたらいい。
出力は相手に合わせて調整する。
そういうのが大人だと思う。

だけど、そういうことしてたら、
人間関係作れないんだよな~。
無難な人の代わりは、いくらでもいるから。

「本音を言えるかどうか」っていう、
問題の設定が違うのかも。
そうだな~、たとえば。

本音を言うことがいいことだとして、
どういう場合にはふさわしくないのか。
本音を言わない時、それによって、
何を得て何を失っているのか。

ていうか、本音って何?

何かをやろうとする人を応援したいのも本音で、
それが出来るのか心配しているのも本音で、
やると決めたのなら背中押してあげたいのも本音で、
だからって不安がないわけでもなくて、
でもそれを相手にダダ洩れさせたくもないのも本音。

という、単なる反応みたいな気持ちから、
もっと精神的に高い愛まで、
いろんなグラデーションの全部が「本音」なら、
やっぱり、その時の相手の状態に合わせて、
出力をコントロールするのが
つきづきしいかと。



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