私、子どもの頃、よく言われてたんです。
「言いたいことがあれば、ちゃんと言いなさい」って。
「それ、誤解やねんけどな~」って思いながら、
何も言わずに黙ってガマンしてたこともある。
言えるなら言いたかったんだけど、
どう言えばいいのかわからなかったし、
あれこれ回り道して考えてるから、
それ全部はうまく言えそうになくて、閉じてた。
親に怒られて、
ごぉ~~~っと饒舌に言い返す兄を見て、
「すごいな~」と思ってた。
今日、遊びに来てくれた人が、自分の子どもに
「何も言わずに、心閉じて黙ってるのを見て、
言いたいことがあるならちゃんと言いなさい
って怒っちゃった」と言ってた。
それを聞いた私の一言目。
「言えるくらいなら最初から言ってるんちゃう?」と。
子ども側のせつない気持ちに
シンパシーを覚えてしまったのでした。
私も子どもの頃、理不尽に怒られてる場面で、
相手がめっちゃ怒ってる時に
「それは私じゃない」って訂正したら、
怒る相手を間違えて気まずいやろな、とか、
じゃあ誰がやった?
って聞かれてもチクりたくないな、とか、
アレコレ考えた挙句、
怒られ続けて「あげた」こともあるくらい(^^)。
自分は怒りに任せて発散するタイプじゃないから、
相手がそんな怒り方するからには、
よっぽど私が何かしでかしたんだろうな、
まったく心当たりないけど、とか。
私が違う見解を伝えたら、
それで相手が否定されたって思っちゃうだろうから、
相手が自分を肯定するために、
私の見解を黙っておく、とか。
あれこれあれこれ、無駄なことまでいっぱい考えるから、
その考えの道筋を一日かけても全部聞いてくれる、
よっぽどの受け入れ態勢のある人でもない限り、
「何も伝えない」もこれまでの私には正解だったのよ。
どう伝えたって、
たくさん思っているうちの、
ほんの一部しか伝わらないもの。
「言わない」「言えない」の中には、
突然、相手を怒らせてしまう恐怖、
みたいなのも、ある。
自分が黙っててモノゴトが解決していく経験を、
小さい頃から重ねてしまったので、
今でも、自分の考えを伝えるのが下手です。
ただ、大人になっても成長はしていくもんで、
50を越えてから、ちょこちょこ言うようにしている。
「信頼できる人が時間を取ってくれるなら、
なるべく誠実に自分の想いを伝えてみよう」
と意識するようになってからの話。
そしたら、相手と違う見解が2つ並列に並んだとしても、
誠実に穏やかに相手と会話を続けている間は、
両方の納得する場所を一緒に探しにいけるもんだ。
それは、黙っているよりお互いにとって良いことが多い、
ということも学びつつある。
何にしろ、
「言いたいことあれば言いなさい」
で、言えるのなら、苦労はないわ(^^)。
だけど、
「子どもにこんな怒り方しちゃった」って言うママだから、
きっと今ごろ、
お嬢さんが言いたいことをもう少し言えるようになるために、
自分にどんなサポートや声掛けができるかな、
なんてことを、いろいろ考えてるんだろうな。
たとえば、
子どもが勇気を出して、何か自分の考えを言ってみた時は、
全面的に肯定して寄り添う。とか。
言ってみたら良いことあるな、と思える経験を演出する。
な~んてことを!
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