『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

自分にとっての新しいステージの作り方

2020年02月03日 | 考える日々
おとといの読書会で、
「自分がアホでも大丈夫」と心から思った。
そして「わかったふりして背伸びして、
いい恰好しても無駄だ」とも。

だって、だってー。
私が長い間かかってやっと読んだ『自由の哲学』を、
初めて読んだ人が、「ココって、こういうことですよね?」って、
ソッコーで把握してるんだもの!!!

3年ほど前、その人と序の部分を一緒に読んだ時、
確か、「説明してもらわないと全然わからない」
って言ってはったのに。

今回は、全員が本気で自分たちで
『自由の哲学を』読もう、と集まっている。
心構えが変わることで、こうも違うのか。

自分だって、しつこく読んでるのに、
読む度に「あ、もしかして、こーゆーことかな?」って
新しい発見があったりして。
ホント、すごい本だなぁ。

楽しく集まってランチをして、っていう感じの時は、
「季節に1回くらい会えたらいいね」「でもなかなか日が合わないね」
という感じだったけど、今回から読書会に変わったとたん、
「毎月集まろうよ」「3月まで決めてたらシフト調整しやすいし」って
優先的に時間をやりくりするようになったりして(^^)。

そして、集まってみたら、ホントに面白かった。
普段無口な人も、おしゃべりな人も
みんな真面目に本の内容についていっぱいしゃべって、
脱線しかけても、ちゃんと元の話に戻ってきて。
なんだ、みんな勉強したかったんだ♪

もっと記憶力が欲しい、もっと理解力が欲しい、
もっとスムーズに説明する力が欲しい、
ちゃんと人とつきあえるスキルも欲しい…。
でも、自分にはその力が与えられてない。

「能力が欲しければ鍛えたらいいやん」
ってなことが、教科書的には正しいんだろうけど、
人生半ばを過ぎて、自分の能力もわかってくる。

この能力で生きて行くんだよなぁ。

そう思うのは、がっかりじゃなくて、
「この能力で生きて行く道があるんだ」っていう、
いわば、「命を信じる力」みたいなもの。

上を見たらきりがないけど、
この程度の能力が生かせる読書会にも出会えたし。
この能力のまま高め合える仲間にも出会えたし。
この程度の能力が確かに役立つと思える家庭にも恵まれたし。
そうやって、人生トータルで、
必要なことに少しずつ近づいていけてる気がするし。

ミミズだってオケラだって
みんな生きているんだ友達なんだ(^^)。
虫にもアメーバにも役割がある。
あなたにも、もちろん私にも、役割はある。

世間標準に自分を合わせる方向も大事だけど、
同時に、
自分標準に世界を合わせてもらう方向、
つまり、心が苦しんでいるのに無視して背伸びしないで、
「私はこの程度ですよ」って開き直ってもいいんじゃないか。

そしたら、今生きている場が違うステージに変わる。
勉強会と家庭に関して言えば、無能をさらしても案外困らず、
周りの人も私も、むしろ心安らかに一緒に歩いていけている。

迷惑かけるのと、自分に出来ることで相手をサポートするの。
世界に自分を合わせるのと、自分に世界を合わせるの。
どっちかだけに偏らず、
その場その場で、よりふさわしい方を
まっすぐ、熱く、繰り出していく。

そうやって、自分を殺して世界に巻き込まれたり、
世間を無視して自分のワガママを通したりせず、
肯定的に地道に、世界と自分をつないでいると、
いつか心の基礎体力がついた頃、ふさわしい時期に、
自分を育てるのに必要な、新しいステージに立てるはず。

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