『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

平和に加わる条件は「自由」! ~ベートーベン「第九」より~

2019年12月16日 | 考える日々
日本ではあちこちで
ベートーベンの第九交響曲が演奏される季節です。

この歌詞、何度も歌っておきながら、
あんまりちゃんと味わったことないんですが、
詩の中にこんなフレーズがあります。

♪ Ja wer auch nur eine Seele
  Sein nennt auf dem Erdenrund!
  Und wer’s nie gekonnt, der stehle
  Weinend sich aus diesem Bund!

  たった一つの魂であっても
  それを「自分のもの」と呼べるヤツは、
  平和の輪に加われ! ♪

おおお、カッコイイ。
結構、ロックですね。

って、ドイツ語わかんないので、
区切る場所もウソかもしれないんですけど、
だいたいの場所、この辺のはず^_^。

絵や音楽などの芸術を鑑賞するにも、知らない町を歩くにも、
ガイド本に教えられたとおりに感じるのが正しくて、
同じように感じられないのが何か劣っているかのように感じる。

そうしたくないことでも、いちいち立ち止まらずに、
ココロ黙らせて無難にやりすごすことも多くて、
自分の魂も、自信を持って「自分のもの」と呼べない。

何のガイドもない中で「私はこう感じます」と言うのは、
私にとっては、なかなかハードルが高い。
たとえば、たくさんの焼きものの中でどれが本物か、とかね。
間違ってたらカッコ悪い、とか思うし。

本来的には、無心に向き合って、
ココロの言うこと聞いてあげるだけでいいんだけど、
それをサボって、近道を探すから、だよな。

自分がココロ開いて向き合って
感じたことをそっと見つめてあげたら、
「自分はこう思う」って言えるんだから、
サボらずに、その範囲をもっと広げていかなきゃなぁ。

でも、べートーベンは、そして詩を書いたシラーは、
たった一つの自分のこの魂を
「自分のもの」と呼ぶことが出来ることが、
世界の平和を作る仲間に入る条件だと考えたのね。

自分の魂を売り渡さずに「自由」でいることが、
世界平和を祈る前提条件ってことだよね。

この前後に、
「そうじゃないヤツは、さっさと去ってしまえ!」
って書いてある。
ドイツ語のニュアンスわかんないけど。

…去りたくないんで、近くに居てもいいですか。
がんばって、自由に向かいますので。

ベートーベンさん、シラーさん。
あんなに妙なる美しさの音楽に、
こんなに厳しい内容を刻印していたのですね。

でも、音楽は、耳をふさぎさえしなければ届くので、
そして、人を動かす力があるので、
とても力強い、永遠のメッセージです。

すごいなぁ、芸術って。



▼神々しいところで、
「パッヘルベルのカノン」とかもいかがでしょう?


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