『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

AIが課す試練 ~意識的になるために~

2020年01月30日 | 『AI 分岐点に立つ人類』
自由の哲学の序だか第1章だかに、
「選択の自由があるだけでは、
自由とは言えない」という意味のことが書かれています。
それには、完全に納得できます。

「勉強する? お風呂入る?」
と、私に都合のいい選択肢を示しても、
中学生の子どもは、
「それしかないわけ、ないでしょう」と、
親の思惑を正しく見抜いて、コタツでマンガを読みふける。
うん、キミは正しい。それしかないわけない(^^)。

AIの答は無限に見えても、
選択肢が多いってだけなんだよね。
人間みたいに、突然スゴいことがひらめいたりしない。

寝入りばなや寝起きの時、
歩いている時やピアノを弾いている時なんかには、
突然、すんごい事がひらめいて、
自分で思いついておきながら、
「誰が考えたの??」ってビックリする事がある。

人間に特有の、
そういうワープみたいな思考のジャンプは、
きっと、AIにはない。
だって、電卓だもの。
そもそも、あってもらっちゃ困るし。

そして、言葉やデータにならないものは、
計算の根拠にもならなくて、
だから、心の中でうごめいているけど表に出てこないものは、
いつまで経っても、なかったことにされてしまって。

機械に頼るのは、「スイッチ押したら反応する」、
「命令したことだけ、単純に遂行する」というような、
低レベルにとどめておいたらいいと思うんだけどなぁ。
気を利かせてアレもコレも提案してきたり、
勝手に実行したり、しないでほしいんだよね。

ワープロソフトの文頭にテンとか数字を入れただけで、
改行する都度、勝手に箇条書きになる
ってのがあるじゃない?

あれだけでも「あ~もう、余計なことしないで!」って、
それを止めるひと手間がうっとーしいのに、
それが、あらゆる場面で出てくるなんて、やだ~~。

それもヤダけど、そうやって、
機械の判断にゆだねた答えを実行するだけの存在として
人間が生きていくようになったら、
どうやって自分に自信持つようになるんだ???
ますます外のものに依存せずにいられなくなる。

なんと言うか…、
それって、人類の退化じゃないかな。

人類の進化の方向としては、
ものごとに意識的になって、自分で考えて実行していく、
それは、人それぞれの自由意志で決める、
っていう方向に進んでいると思うんだけど。

身体がヒョロヒョロで、
頭だけ大きくて目がギラギラの未来人間、
みたいな不気味SFイラストを見たことがあるけど、
もはや、頭さえも、嬉々として明け渡して
「間違いがないし、ラクだなぁ」と喜んでいる人間。
「機械信号を受信する、センサー付き水の入った革袋」
に成り下がりたいとは思わない。

今は、もしかして、
人類が意識的に自由になる方向で進化していくのに必要な試練として、
AIが登場しているのかもなぁ。
楽である、責任を取らなくていい、と言うエサで、
「あなたは自分をどこまで明け渡しますか」っていうことに
人が意識的になるための、試練。

人が自ら招いた試練というよりは、
もっと大きなものが、今まさに人に必要だと思って、
地球に課している試練。

あ…この言い方はちょっとアヤシイけど。
まあ、今後ますます、好むと好まざるとに関わらず、
計算結果を受け取るんだろうなー。

私の中では、AIの出現は、
ワクワクするような嬉しいものではなく、
まして、ビジネスチャンスなんてものでもなく、
自分でどこまで機械に委ねたいかを考えることで、
人間の自由について考える存在になっている。

自由になるために、意識的でいることは
どうしたって必要です。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿