『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

私の問い(そしてゴール)は

2017年12月28日 | 昼行燈より愛をこめて
私の問い(そしてゴール)は、
経済っていうゲームに勝つ方法じゃなくて、
みんながシアワセであれるルール作りだった。
ってことが、
こないだ、言葉になって出てきた。

一所懸命仕事する人たちと
「問い」も「ゴール」も微妙にズレてることは、
やっぱり、その人たちに申しわけなかったもの。
んで、辞めたのね、きっと。
…不器用だなぁ。

自分の問いは、ここで押しつけたらアカン、
おおっぴらには問わないでおこう、って感覚、
いつも、どこかにあったもの。

そもそも、この私という個体には、
ゲームに勝つための能力が備わってないし。
もしかして、ビジネス界で無能なのは、
ビジネスを進めるんじゃなくて、
枠組み自体を考えるため、だったりして。

石炭を掘り出すパワーはないけど、
毒気を含む空気ですぐ死ぬ炭鉱のカナリア、
みたいな。
カナリア…かわいすぎるけど(^^;)。
でもヤツは命がけでセンサーの役目を担う。

私が私として、より私らしい私になって、
私をどう世に生かして、
まわりと一緒にシアワセになっていくか。
それが、人生の一番大きな問いだなぁ。

私だけじゃなくてね。
老若何女全員が、生産能力の大きさに関わらず、
それぞれの人であることを尊重され愛される、
そんな社会になったらいいなー、
って思うんです。

鼻で笑われそうだけど、
人を生産能力の大きさで見るって、
ビジネス界だけやし(^^;)。

Imagine. All the people
living life in peace~♪ 
ってヤツです。

人類トータルで見ると、私という個体は、
現在を推進する係の人じゃなくて、
小さな違和感を感じ取るセンサー役なのかも。

そういうセンサーは、
周辺部で働かせることであって、
今まさに真ん中で戦ってる人が
受信することじゃないもんね。
それはわかる。ジャマしたらアカン(^^;)。

ココに何か書くことになったのは、たぶん、
周辺部にあるセンサーが受信したことを、
世を変える能力の高い人たちに伝えるため。
それぞれの現場で、変えて変えてー。

私は私で、
身の丈サイズでは変えていくけど、
その範囲、め~っちゃ小さいのよ(^^;)。

そう思った時、
自分に与えられた能力、
与えられなかった能力と、
自分が気になること、
気にならないことの整合性が、
ピッタリ合っていることに驚く。

人っておもしろいねー。
うまいこと、できてるねー。

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