昨日の続き。
何か、いい考えを思いつくことと、
課題を解決に導けることが
天と地ほどの違いがあることを、
日常で思い知っている今日この頃。
不満を表明するな、というんじゃない。
不満は当然。持って当たり前。
だけど、それに懸命に取り組む、
大きな力を持つ誰かを叩く時、
取り組んでもいない自分の方が、
その人よりもエラいような錯覚に、
快感を覚えていたりしたら、恥ずかしい。
同じ事を、自分の名前と顔を出して
その人に伝える価値、ある?
あるなら伝えよう。
もし、大勢に属している安心感を味わったり、
単に自分がうまく行かない事にイライラしたり、
憂さ晴らしの八つ当たりが混ざっているのだとしたら、
その時は、自分を汚しているな、と思おう。
誰かを叩き潰すより、
自分で出来ることを、探してみたい。
たとえ、大海の中の1滴分しか動かせなくても、
1滴分は美しくなる。
もっと美しい世の中に住みたいなら、
その方が周りもキレイになるはず。
濁りの中で安心して隠れている方が楽だけど。
自分が世の中を美しくする方の1滴にもなれるし、
汚す方の1滴にもなれるという意識は、
「キレイにする努力」
をしていない自分に気付いてしんどい。
だけど、少なくとも、
隠れて人を叩いて憂さ晴らしをするよりも、
真っ当に明日の扉を開いていく感じはする。
1滴しか動かせない虚しさを、
自分を真っ当に使わない言い訳には
使うまい。
1滴は、きっと、
まわりの3滴くらいには影響するから。
そして、自分が汚れた時、
その3滴に気付かせてもらえるから。
今、自分が恥ずかしいのは、
周りの3滴があまりにもキレイだから。
私の周りの3滴のみなさん、
いつも輝いていてくれてありがとうございます。
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