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昨日、初めて、
リアルな哲学カフェというものに参加してみました。
そこでは、知的な感じのオジサマ方が、
というか、知的じゃない私も含めて、
ひとつのテーマについてあれこれお話ししていました。
ビックリしたことに、
年齢層高めのオジサマ方の間では、
「認識論」「存在論」「形而上の」
「ポピュリズム」「マルキシズム」など、
私が普段使わない言葉がふつーに流通しておりまして。
その、わかるよーな、わからんよーな感じは、
「あ、お呼びじゃない(^^;)?」みたいな気分を、
私の中に呼び覚ましました。
それはまるで、コギャルの2文字会話
「おつ(かれさま)~」「わら(える)~」
「なぞ~」「えぐ~」「やば~」「きも~」
などで引き起こされる作用と同じだったような気がします。
ああ、世代間で言葉が違うのは、
コギャルだけじゃなかったのね。
そーいえば!
子どもの頃、
時代劇ファンのおばーちゃんち(明治生まれ)で、
「トレンディドラマ(←死語)」を見ていたら、
「最近のテレビは、ちーともおもしろない。
ダキオータリクチスータリして」と言うので、
「何語???」という場面があった。
それが「抱き合ったり口吸ったり」つまり
「ハグ」と「キス」だということに思い至るまで、
3秒はかかった気がする。
そんだけ違ったら、
「お呼びじゃない?」とは思わなくて、
「異文化交流、楽しい~!!!」
って感じだったな~。
そっか。
知的紳士も、コギャルも、
「異文化交流、楽しい~!」って感じでいいのか?
あ、でもあれは、排他的な意味もあるか。
わかる人の間だけで通じたらいいわ、みたいな。
業界用語もそうだよね。
その言葉が通じる人だけわかればいい、
っていう言葉。
異業種の人はわからなくていいから、
説明もしません、っていう。
あ~、自分も気を付けよう。
お呼びじゃない?って思わせていないか、
その場にいる人がわかる言葉になっているか、
場面に応じた言葉遣いができるように。
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