『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

気持ちと精神は違うと実感したコト

2022年10月13日 | 考える日々
気持ちはね~、その場限りの、
外から来るものに対する反応。
なんか言われてムカッとするとか。
舞い上がる、とか。
いわば、スイッチみたいなモン。
「5分で泣ける本」とか売ってるし。

んで、精神は、そこを越えて、
「それはわかった。
で、あなたはどうするの?」から
あれこれ紡ぎ出される思考に浸透してくる、
一次元高い世界。

「お金のために働いてるんでしょ?」
とか何とか言われて、腹が立つとか、
哀しいとか、バカバカしいとか、
は、外から来る気持ち。

最初は、自分の正しさと、
相手の理不尽さに、くどくど思いを連ねる。

しばらくして落ち着いたら、
穏やかにわかってもらいたいのか、
キッパリ強めに伝えたいのか、
さっさと見限って離れるのか、
まぁ、そんな風なことを考え始める。

そのあたりから、精神のお世話になる。
自分の気持ちと相手の状況を、
どちらも客観的に、メタで捉えて、
次の手を繰り出す。

最初の感情は不自由極まりないけど、
その辺から、
少しずつ自由になってくるのよね。

んで、自由でありたいと思うあまり、
感情をコントロールできると誤解する。
感情はコントロールできない。
出力をコントロールできるだけだ。

ついでに、
出力をコントロールできるのは大人だけど、
抑えるだけじゃなくて、
出す強さも角度も温度も選べる、のが大事。

で、今日の私。
「ショックじゃなかったことにしよう」とか、
感情を軽く見積もって、
ちゃんと受け止めてあげないまま、
出力のコントロールに専念してたら、
なんかわからなくなるんだよね。

「あれ? いつも自由でありたいあまり
“感情の奴隷にならない”を選択するのが、
クセになってる(それはそれで役立つ)けど、
こういう時って、本来
どのくらい怒っていいんだっけ?」とか。

今日、別の流れから話を聞いてくれた人がいて、
「へ~、ショックやったんや。落ち着いた?」と聞かれて、
「う~ん、でも感情の問題じゃないです」って、
エラソーに言っちゃったけど
話し終わったら、わりと落ち着いてた。

あら、感情の問題だったんだ(^^)。

そこを置いてけぼりにしてたから、
ちゃんと考えられてなかったのかも。
言葉にして外に出させてもらえたら、
感情が無事に成仏してくれました。

すごいな~、言葉の力。
聞いてくださって、感謝!!!

さて、今度こそちゃんと考えますか~。
自分も周りも、より良く生かせる方法。


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