大学の入試のニュースを見てたら、
配られる問題って、すっごい分厚いのね。
1教科で30ページ分くらいありそう。
30ページの問題集、もしかして1時間で解くの???
試験の事をもうちょっと知りたくなったので、
大学入試センターのHPから実施要項をダウンロードしてみた。
1教科60~80分なんだって。一律じゃないんだ、へ~。
問題を解けるかどうかは別として、
9時半から18時10分までという長い時間、
メリハリつけつつ集中する力がいるのか~。
その時点で、すでに受験生のみなさんを尊敬するわ。
そんな大変な試験に真面目に取り組む姿勢と、
1時間で30ページを処理する能力の高さがあるってだけで、
もう、どこでもいいから入れてあげて欲しい!
と、よわっちー私は思うのでした。
ダウンロードした資料をスクロールしながら
ナナメ読みしてたら、ちょっと目に留まったのが、
ページによる黒さと白さのばらつき。
つまり漢字とカタカナの密度バランスが、
とんでもなく偏っていたのよ。
たとえば最初の方では、ディプロマ・ポリシーとか、
カリキュラム・ポリシーとか、
アドミッション・ポリシーとかカタカナが多発する
(ちなみに意味は、上から順に、学位授与の方針、
教育課程選定の方針、入学者受け入れ方針だとさ)。
んで、途中からカタカナが激減して漢字が増えるの。
たとえば「データで提出してもいいよ」って書くのに
カタカナの方がわかりやすいのに、かたくなに漢字で
「電磁的に記録した調査書
(以下「電磁的記録による調査書」という。)の提出を~~」、
とか書いてんの。
略してるのに、文字数が一緒という悲しさよ…(^^;)。
このカタカナ具合と漢字具合を見ているうちに、
一つの文書に、ITが登場する後と前の、
「公式会見」の移り変わりが現れてるみたいで、
「うわ~、ヘンなの~!」って思ってしまった。
前半は、
わかりやすい日本語があるのに、
あえてカタカナを使ってみる、っていう態度。
後半は、
平安の昔から公文書は漢文と決まってるでしょ、
という価値観。
どっちも、わかりにくい。
まぁ、カタカナでしか表現できない言葉もあるし、
外資系企業はそれが共通言語だからいいけどねー。
たとえばITの言葉は、日本語にできないのがいっぱいあるもの。
日本にはない新しい技術や概念がそのまま広がったから、
そういうのは仕方ない。
スシ、ニンジャ、ハラキリ、スモウなどが
そのまま外国に出て定着したようなモノで。
でも、ふつーに日本語と対になってる言葉までも
わざわざカタカナにする意味って何だろね?
「約束」より「コミットメント」の方がカッコイイ?
あ~それにしても、文科省の公式な文書で、
カタカナや漢字がこんなにバランス悪いとは知らなかったわ。
もし、もしよ。意識的ではないにしろ、
文科省が、英語や漢字(や、その文化)の方が、
日本語(や、その文化)より上だと思ってるとしたら、
そこの方針で教育される日本の若者が
自分の国に誇りを持てるわけない。
逆上がりやマイムマイム踊ることにも、
何らかの意味や達成目標が設定されているんだろうけど、
それより、能や狂言、長唄や三味線、茶道や華道や着付けなど、
日本の伝統文化を学校で体験させてほしいな。
一度ずつ、ほんのさわりだけでもいいから。
そしたら、
日本に誇りを持つ日本人が増えて、
西洋とは違う日本精神(和や侘寂、謙譲の美徳など)が
自分の中にも確かに息づいていることにも気付き、
伝統文化も時代に合わせた形で発展していくと思う。
伝統を捨てて国際化したって、
それは国際化じゃなくて属国化、だもの。
…なんて言ってる私も、さらにその親の世代でさえも、
すでに、日本の文化から遠いもの。
伝統文化の魅力を、自分の言葉で子どもに語れない。
今さら身に付けられそうもないし、どーしたもんだか…。
shotarrow sakamotoによるPixabayからの画像
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