『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

ルールって難しいなあ

2018年02月06日 | 昼行燈より愛をこめて


一方に栄養失調で今にも死にそうな子どもがいて、
もう一方で、賞味期限切れの大量の食べ物を捨てている。
こういう状況を最適化するシステムないかな?
…みたいなことに、先日、思いを致しました。

そしたら、
牧場で働く友人と
こないだ交わした会話を思い出しました。

彼女曰く。

牧場では、牛がたくさん乳を出すように、
そして、病気にならないように、
牛に良くないものを食べさせている。
病気でもないのに薬を与えている。

牛のカラダを酷使して採れた牛乳が
人のカラダに良いわけがない。
第一、牛にも悪い。

「それで、いい牛乳を届けられるならいいけど、
安くて危険な牛乳を作って売って、
しかも、スーパーにどれだけ並んでる?
あんなに並べる必要あるの?」

ばっくり言えば、そんな問題意識。
(細部は間違ってるかも)
確かに。

閉店間際にお店に行っても、
毎日あんなにいっぱい牛乳が並んでる。
あれ、閉店後、どーすんのかな。
…まとめて捨てる?

消費者が、カシコクなって、
牧場の人が牛にヘンなものを与えないで
経営していける程度の対価を払って、
安全でおいしい牛乳を飲めばいいのに。

と思うけれど。
それって、教科書的?
そんな正しいことは子どもだって言えるわけで。

安い牛乳に慣れた人に、
1.5倍の値段を払ってもらうには、
どーしたらいいんだろう…。

私は彼女に「それに妥協しなくて、
アナタが死ぬことになるなら、
アナタが死ぬより、妥協して生きてほしい!」
と伝えました。
だって、それが嫌で会社辞めるって言うんだもの。

ほんまに、そういうことやんなー。

でも、彼女は言いました。
「いいと思うことがあるのに妥協したら、
自分が考えたり学んだりする意味はどこにあるの?」

会社で働いたことのない人なので、
「普通の会社で働いてる人って
どうやって折り合いつけてるの?」
と聞かれました。

「100m10秒で走るにはどーしたらいいの?」
というのと同じくらいのレベルの
「そんなの不可能でしょ??」という
戸惑いを込めて。

「アナタみたいに、
まっすぐに行く人は少なくて、
会社の向かう方向に向けて
ある程度、飲み込む人が多いと思うよ」。
 
実際、私もそうだった。
一応、自分の意見は言ってみるけど、
「これは言ってもムリだ」とわかるラインで、
自分を黙らせてその場をまとめていく。

んで、やっぱり気持ち悪いから
別の機会や別の形を狙う。
相手が大きすぎたら、
壊れる前にココロ黙らせる。

どこを妥協して、どこは妥協せずにいくか。
がんばって、どこまで踏ん張れるか。
そこが、一人ひとりにかかってる。
結局、水際の自分にかかっているわけで。

食品偽装でも、品質のごまかし問題でも、
結局はそこにつながっていくもんなー。
あれを無責任に非難する時、
力の前で自分の正しさを曲げた自分を思い出そう。
あれをごまかしたのは、私たち。

踏ん張って、でも、しんどくなった時点で
壊れる前にココロ黙らせて、
効率的に、機械的に、
決まったプロセスで動かす仕事。
自分で考えなくてもいいように。

時々「コレはどうしても」っていう時に、
言ってみて、玉砕して。
言われた方も、ルールにないから却下して。
の、繰り返し。

ルールはいつでも、
もっと良くしていけばいいものなのに、
人の声も聞こえなくなるほどカチカチになれば、
誰も悪くないのに、みんな消耗する。

でも、そのルールは、
今の時点でサイコーに確実なものだし、
そのプロセスをたどると、
誰でも同じ結果が出せるんだよなー。

そのルールがあるから、
他の人がフォローしてくれやすくて、
自分が病気になっても安心して休める。

そんな大事なものだから、
ホイホイ変えられない。
定着させるのにすごい時間かかるし。

「誰でも同じ結果が出せる」ってあたりが、
「一人ひとりを大切にする」っていうのと
ズレるんだよなー。

ルールって難しいなー。

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