何かを学ぶと知識が増えたり手の動かし方が器用になったりする。それはそれでいいけれど、何を学んでも自分自身が高まっている実感が薄かった。どうも自分の本質的なところに届いてないようで。
パソコンで言うと、ソフトはいっぱいインストールしたけど使い方は曖昧だしOSは古いまま、という感じかな。シュタイナーを学ぶことで、自分を動かす真ん中=OSがバージョンアップしてきているという実感がある。そして、それこそが自分に必要なことだと。
これを学ぶ前は、自分がエラソーになってしまうことに困っていた。何かを学べば何かの知識が増える。ものの見方も変わる。すると、学んでない人の見方を見下すことになりがちなのがとてもイヤだった。そのくせ、知識をひけらかしてエラソーぶってみたり。「あの人にこんなこと言っても通じない」と勝手に決めて諦めるのが習性となり、周りに人がいても、ちゃんとわかり合えない寂しさやもどかしさも感じたままで。
伝えられないのは自分の事として対象を咀嚼できてないからであり、自分が伝えることを前もってあきらめているからなのに、相手のせいで通じないんだと思っていた。相手が受け取らないのは相手の問題だけど、自分が伝えようとしないのは、自分の問題。一番とっかかりのその部分を棚上げしてた。相手の問題だけじゃないことも薄々わかっていたけれど、何をどうしたらいいのかわからなくて。
ところが、シュタイナーの本を勉強していると(先生の人柄の影響も大きいと思うけれど)、自分がどんどん謙虚になる。これはいいぞ! しかも「自分で考えることが大事。この本に書いてあることを信用するな」と、当のその本に書いてある。なるほど、これはますます信用できそうだ。
周囲の人や環境への不満が湧き上がってきた時に、「相手を変えるのではなく自分が変わることで対処する」というのが基本。それなら自分一人でもできる。実際、自分が変わるとホントに周囲も変わる。シュタイナーを学ぶ前と比べて夫婦仲だって良くなった。態度悪かったからね~、私。スミマセンご家族の皆さま。スミマセン周囲にいてくださるみなさま。私エラソーで。
パソコンで言うと、ソフトはいっぱいインストールしたけど使い方は曖昧だしOSは古いまま、という感じかな。シュタイナーを学ぶことで、自分を動かす真ん中=OSがバージョンアップしてきているという実感がある。そして、それこそが自分に必要なことだと。
これを学ぶ前は、自分がエラソーになってしまうことに困っていた。何かを学べば何かの知識が増える。ものの見方も変わる。すると、学んでない人の見方を見下すことになりがちなのがとてもイヤだった。そのくせ、知識をひけらかしてエラソーぶってみたり。「あの人にこんなこと言っても通じない」と勝手に決めて諦めるのが習性となり、周りに人がいても、ちゃんとわかり合えない寂しさやもどかしさも感じたままで。
伝えられないのは自分の事として対象を咀嚼できてないからであり、自分が伝えることを前もってあきらめているからなのに、相手のせいで通じないんだと思っていた。相手が受け取らないのは相手の問題だけど、自分が伝えようとしないのは、自分の問題。一番とっかかりのその部分を棚上げしてた。相手の問題だけじゃないことも薄々わかっていたけれど、何をどうしたらいいのかわからなくて。
ところが、シュタイナーの本を勉強していると(先生の人柄の影響も大きいと思うけれど)、自分がどんどん謙虚になる。これはいいぞ! しかも「自分で考えることが大事。この本に書いてあることを信用するな」と、当のその本に書いてある。なるほど、これはますます信用できそうだ。
周囲の人や環境への不満が湧き上がってきた時に、「相手を変えるのではなく自分が変わることで対処する」というのが基本。それなら自分一人でもできる。実際、自分が変わるとホントに周囲も変わる。シュタイナーを学ぶ前と比べて夫婦仲だって良くなった。態度悪かったからね~、私。スミマセンご家族の皆さま。スミマセン周囲にいてくださるみなさま。私エラソーで。
シュタイナーを
「私のその夢に手助けしてくれる最強なおじ様ですごく頼れる彼」
と表現されてて、
「愛してるんだ!」ってにんまりしてしまいました。
双方向のコミュニケーションが成立してて、とっても身近なんですね~。
私にとっては、もうちょっとコワイ存在です。
「超・大きな世界の人にワケわからんけど出会ってしまって、
普段の生活も見てるよ~、もう逃げられないよ~」っていう。
とりあえず、背筋伸ばして、精一杯真面目に対応するしかなくて、
ごまかしたり、いいカッコしたら、すぐ見抜かれて、
でも、じっと見つめながら「ホントはわかってるよね」
って、そばに立たれてるみたいな。おおっ、重い!!
ん? それって、自分が見てるのか?
あわわ…、インストールしてしまいましたかね???
まだ、「自由の哲学_初版の序」しか読んでないのに、
強烈だなぁ~~!!
導かれて今うんうんなりながら序を読んでます。
読むのにどんだけかかるんだろ~
と、だだっ広い草原のなかで、ただただ
立ち尽くしている感覚です。
ときおり、心地よい風が吹いて
手足をくすぐり、心をくすぐり
頭の中をくすぐり…
私はその都度ワクワクし、
全身を駆け巡る喜びを感じます。
今、転換期にいる私のそばにあることで
とても助けられています。
一緒にあーだこうだと話せる仲間がいて
本当に幸せ。
この場がある事を感謝しています。
ありがとう!
「霊」とか「輪廻転生」とか、そういうのって、
はるか遠くの別世界の、
現実の世界とはあんまり関係ない、
なんというか、階層が違うというか、レベルが違うというか、
そういう「別ものワールド」のことだと思っていた。
シュタイナーの魅力のひとつは、
そういうのが、今の私の目の前の現実世界と
地続きなんだよ、って教えてくれること
かもしれないな。
と、メモしておきたくて書きました。
まだ、わかんないけどね。
全く別ではないって感じがする。
私にとってオカルトもそうだな。
その言葉だけですでに市民権がないよね。
反感買いまくりの先入観に満ち満ちた言葉。
でも、そういうのに対する恐れ…じゃなくて畏れがあると、
アレコレ、思いがけないモノや人や展開と出会う時にも、
驚きと共に、受け入れられるような気がするわ。
受け入れた時点で、さっきよりちょっと自由。