『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

悪人にシンパシーを感じつつ読む体験 ~中村文則「掏摸」~

2020年11月16日 | 考える日々
ちょっとハードな小説を読みたくて、
中村文則さんに手を伸ばしてみる。

今日読んだのは『掏摸』(スリ)。
作者は結構親しみやすい顔をしているのに、
こんなハードな小説を書かれるとはビックリ。
いや、めっちゃ辛かった。

ある日出会ってしまった闇の男に、
そのスリの腕を見込まれ、
忠誠を誓うでもなく、礼を言われるでもなく、
指示され、見張られ、動かされる、腕のいいスリ師。

質問も交渉もできない。
指示通りにできなければ、死。
それも、たいした感情も動かさず、
跡形もなく、処理されてしまう。
救いのない、話。

その男に逆らえないなら、せめてその思惑を叶えて、
そして、無事にどこにでも逃れてほしい!
とシンパシーを感じつつ読むのに、結果は…。
ぞぞっとしながら、一気読み。

これは小説だけど、
似たような世界が、私の能天気な日常の隣にあって、
今もこういうギリギリで生きている人がいるという、
このパラレルワールド。

いろんな人の現実が、大きく重なる事なく、
時間軸に沿って、並行に進行していく。
同じ会社の人とだけ、同じ趣味の人とだけ、
同じサークルの人とだけ、同じ家族の間でだけ、
普通におしゃべりして、
そうでない人とは、ほとんど接点がない。

飲み水がなくて死んでしまう子どもや、
逃げ場なく犯罪を重ねる人たち、
儲けのために国すら動かそうとする人たちと、
同じ時間を、同じ地表で、生きている、私。

そこにも接点を作ろうとしない。知ろうとしない。
すごく怖くなる。

そうだった。
小説って、こういう「揺さぶられるもの」だった。
自分の常識の中で油断している時に、
答えの出ない世界に連れて行かれるもの。

こういう小説で、いろんな予行演習をして、
いろんな立ち位置の人にシンパシーを抱く事で、
自分の身の回りしか知らない自分に
少しだけ、外の世界を教えてくれる。

ニュースとしての単なる通り過ぎる知識や、
あざといコメントでコントロールされる感情ではなく、
主人公と自分を重ねつつ、
ヒリヒリ痛みを感じながらの読書体験。

悪人が主人公の小説、また読んでみよう。
その悪人にシンパシーを感じながら小説の中を歩く。
自分をイイヒトだと思っているようなヤツは
現実の見えない鼻持ちならないヤツだから。
小説に出てきたら、たいてい救いようがない。
私じゃん。

ズルくて弱くてバカでナマケモノで、
でも、明日は今日よりちょっとマシになりたい。
周囲の人には笑顔でいて欲しい。
生きていることに、何かの意味を持たせたい。

そんなささやかな願いを持つ一人として、
環境次第で、簡単に悪人に成り下がる可能性を
自覚しておきたいと思う。

善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿