こないだ、介護に入ってる時に
「ありがとう」って言われると、
ちょっと違和感がある
みたいなことを考えていました。
その違和感は、なんと、
自分も一緒に「みんなが生きやすい社会」を
作ってる気分になっているから、
同じチームでいるつもりなのに排除された感じがする、
なんていう要素が絡んでるな、ということもわかり。
当事者ほどの切実さはないのに
「一緒」ってのはゴーマンやな~って思いました。
30年くらい前、車椅子で電車に乗る人は少なかった。
ベビーカーだってほとんど電車では見なかった。
車椅子のままでは通れない狭い改札、
ホームへの長い階段、
ホームと電車の隙間や段差、
乗ってからも車いすを固定する場所なんかなくて、
カーブやブレーキの危険なこと!
電車に乗るまでも乗ってからも、
いろ~~~んなハードルがあって、
それを越えるために周りの人にお願いしたら、
必ず誰かが助けてくれて、途方に暮れるってことはなかった。
ほんと、感謝しまくりで、嬉しくて、
「ありがとう」って
何度も何度も言いまくってた。
今は、ちょっと困って手助けしても、
「かわいそうな人を助けた」的な感覚は
随分、減っている気がする。
軽い「ありがとうございまーす」で済む。
しかも駅にエレベーターが出来てるし!
ついでに、昔は
必要があって車椅子でラッシュアワーに乗ったら
「時間ズラせよ!」って聞えよがしに言われたりもした。
今じゃフレックスタイムがあって、時間がズラせる。
歩けない人が、歩けるようにならなくても、
環境の方が変われば、
多くの人が一緒に生きやすい場所が増える。
車椅子の障がい者が
「私も町に出たい!」って戦ってくれたおかげで、
今、課題はありつつも、
ベビーカーでも、年取ってからでも、
町に出やすくなっている。
「障がい」は、自分に問題があるんじゃなくて、
社会環境の方に問題がある、っていう考え方を、
「社会モデル」って言うんだってね。
その考え方に、
ちゃんと言葉が与えられてるなんて、
知らんかった~。
好きだな~、この考え方。
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