シュタイナーを学んでいる人は、
世に関わろうとする人が多いように思います。
絵が上手になりたい、とか、
尊敬されたい、とかではなく。
親しみやすいのは、教育入口だけど、
それだけじゃもったいない。
シュタイナーの視野は広いから、
子育てを終えた後の大人が、
自分の生き方につながっていく学びに
出会えたらいいな~と思う。
シュタイナー全集354巻のうちの1巻が、
1894年に出されたシュタイナーの哲学的主著である、
「自由の哲学」ですが、
アタシ、これ読むのに7年かかってるんだよね…。
残念ながら、
354巻が全部日本語訳されてるわけじゃないけど、
訳してくださってるものだけでも、
一生学び続けられるわ。
あ、2020年に、こんな本も。
私もちょこっとだけお手伝いしました。
これも、その守備範囲、もとい視野の中から、
それぞれの分野で活躍する方が
自分の大切にしている言葉を一部抜粋されたもの。
農業、医療、教育、哲学、経済、身体芸術…。
響く分野と、よくわからない分野があるんだけど、
これらの言葉を読むたびに、
何か大事な「生きる姿勢」がインストールされ、
ページを開くたびに、精神的なOSが、
自分の中でアップデートされ続けていく気がします。
んで、問題は、
それをどう社会に生かすか、なんだよ。
いつも、そこが大問題!!!
いつだって、
「私なんかはまだまだ」って思っちゃう。
そう思いながら死んでいったら、
言葉として残してくれた意味、
学ぶ機会を作ってきた意味、薄いじゃんね?
学び出して16年。
そろそろ、第2七年期真っ只中。
自立して、巣立つ時期が来ているはず。
子どもを見ていると、そう思う。
直接仕事にするとかしないとかではなく、
「自分がいいと思う社会のために自分を生かす」
「自分が喜ぶことで社会に役立つことをする」
みたいな姿勢を諦めないってこと。
自分を知れば知るほど、
スペックが低いからキツイんだけど、
その不自由さが、結構自由に思えたりする。
自由は、状態じゃなくて動きだよね。
「まだまだの私が、今できること」と、
「したいこと」と「していること」を、
少しずつ重ねていけたら、幸せだろうな。
職業未満のことでいいから、
小さな集まりや学びを続けながら、
自分を育てていけばいい。
今はそういう段階かな。
職業になれば、それだけに集中できるんだけど、
お金にならないから、他のこともアレコレする。
あ、じゃあ逆もありかも。
それだけに集中したら、
仕事になっていく、っていう方向。
学ぶ人間としての責任、か~。
どうやって果たしていけばいいんだか。
あ、これは、他の人に向かう言葉じゃなくて、
自分の希望、として、ね。
これまで育ててくださった方たち、
関わってくださった方たちへの感謝。
「おかげさまで」とかの直接の言葉は、
軽く使えてしまったりもする。
だから、言葉としてではなく、
何らかの活動や形として
表現していけたら嬉しいな。
旗を揚げて、何かを始めれば、
後は、歩きながらその時々で考えればいい。
な~んて、思えたらいいんだけどね。
子育てって、そういうもんなのに、
そして、状況(子ども)に育ててもらいながら、
それなりに責任も果たしていくようになるのに、
なんで他のことはこんなに身構えるんだろう。
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