日々是粗忽

粗忽な日々の日記

御影探訪Ⅰ

2015-09-26 03:12:05 | 企画
先の『神戸在住 だった頃』にあるように、独身時代神戸市東灘区の御影に4年間ほど住んでいた。
昨日9月25日、有休を利用して10年ぶり訪問した。
住んでいた辺りは、10年前に訪問したときも町並みがガラリと変わっていたが、今回の訪問でも利用していた駅舎などかなり変わっていてビックリしたり、山手の方を歩いて道に迷ったりとお疲れな半日だった。




出発は阪神電車で。





西宮で乗り換えて。




阪神御影駅 駅舎の表示も綺麗ですが駅舎内もリニューアルされてバリアフリー化されておりました。






灘五郷の御影は「中郷(御影郷)」と言われ日本酒造りが盛んに行われていました。
震災の影響で、いくつかの酒蔵は廃業したとも聞いています。




高架下の商店街 ここにあった惣菜屋、肉屋(やきとり、コロッケ)をよく利用しました。
今回は中を通っていないのでその店舗が残っているかは確認しませんでした。




駅を後にして、まずは昼食。






本日の日替わりランチは魚系。
10年前に訪れたときはハンバーグでしたね、アフターコーヒー(+200円)を追加しました。
個人的に「瑠美ねーさん」と呼んで、独身時代週末のランチでお世話になりました(今も健在ですね)







洋食屋のある通りを進んで国道2号線へ。
目の前に、東灘警察署を見て左へ。(暴対で大変かなぁ。。。 例の本部は灘区にあるので灘警察署が主体かもしれませんが)




ローソンの隣に「かまどや」(持ち帰り弁当)があったはず・・・
そこのバイトのねーちゃんがかわいかったんだが・・・(20年前)




立派な集合住宅。
ここも震災でかなりのダメージを受けていたが、住民らの協力で再建されている。




ここに材木屋があったはず、イカリスーパーに変わっていた。
その横の本屋もなくなっていた。


この交差点を北上すると、阪急御影駅。
途中JRの高架があるのだか、その少し手前に住んでいたワンルームマンションがある。
1993年末に新築で入居したが、20年以上経っているので少々ガタが見られる。
震災時、建物には損害もなく(室内はぐちゃぐちゃだったが)、結婚するまで2年半ほど継続して住んでいた。




ここ
写真左に建物があるが、震災では木造の2階建ての立派な家が一階部分からつぶれてぺしゃんこになっていた。
当時の人の家かどうかわからないが、周囲の建物もかなり変わっている。


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『阪急そば』巡り 第二回(その2) 

2015-07-21 23:38:34 | 企画
『阪急そば』巡り
記念すべき第一回から5ヶ月ぶり、第二回は神戸線六甲駅『阪急そば六甲店』

前後するが、阪急そばへ訪店する前に神社へお参り。
六甲駅の目の前に「六甲八幡神社」と言うのがある。
由緒・縁起はこちらを参照ください。「六甲八幡神社」








ここの神社にはリンク先で紹介のとおりキャラクターお守りがあり、チビ助はキティ、もう一人は普通の巾着のお守りを購入。
リラックマを進めたが、男の子で恥ずかしいのかシンプルな巾着守を選択。
おみくじは今回しなかった、また今度の機会にということで・・・










食後ちょっと駅周辺を歩いて帰宅





駅のホームで「せみの抜け殻」と、言うので見てみたら動いとるがな!
「抜けがらちゃうぞ、まだ入っとるがな!」

近くのお兄さんが、自分のタオルにセミのサナギを引っ掛けてホーム裏へ逃がしてくれた。
しばらく動かなかったので観察してたら電車1本やり過ごしてしまった(すぐに次が来たけどね)






次回第三回は未定。
ヨメ子供の隙をみて、決行。   うぅ~ん 今回の様にチビ連れになるかも。

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『阪急そば』巡り 第二回(その1) 

2015-07-21 20:16:28 | 企画
『阪急そば』巡り
記念すべき第一回から5ヶ月ぶり、第二回は神戸線六甲駅『阪急そば六甲店』

阪急六甲駅ビル北側バスロータリー前。
屋根の下なので少し暗い感じの場所だが看板は電光掲示(蛍光灯)で問題ない。
店内はカウンターのみ。(12~3人程度か)
テーブルの高さが固定されるので小さい子供にはちょっと辛いかも。(膝に乗せるなどの対策要)





今回は一人ではなく、小さい子を連れての訪店となった。
[暑い~っ]つーことで、冷やし系のうどん・そばを注文。
期間限定プレミアム第10弾「自家製チャーシュー入り 胡麻風味冷やし・うどん」、「冷たい和風出汁の きしめんおろし明太」。
阪急そば。。。と言いつつ今回はうどんで。





平日午後4~5時ごろだったので仕事帰りと言う人もなく空いていて、子供連れでもゆっくり食べられた。(学校は夏休みに突入しているが)
今日この時間を切り盛りしていたのは、60代ぐらいのおばさん二人。

小さな子供連れということもあってか、気さくに話しかけて来てくれた。
注文品のトッピングにも子供相手に気を配ってくれて好感がもてた。(胡麻風味うどんの錬り芥子、紅しょうが有無/きしめんの明太子 明太子が無いと注文した意味が無いだろうが相手が小学生低学年ちゅうことで気にかけてくれたんだろう・・・)
後から小学生高学年ぐらいの母子連れも入ってきて、そちらにも気さくに話しかけていたので、このおばさんコンビは日ごろからそうなのかも。




「自家製チャーシュー入り 胡麻風味冷やし・うどん」大人用




「自家製チャーシュー入り 胡麻風味冷やし・うどん」チビ向け錬り芥子、紅しょうが抜き
既にちょっと手を付けてます ミニトマトが食べられてます




「冷たい和風出汁の きしめんおろし明太」


「自家製チャーシュー入り 胡麻風味冷やし・うどん」の胡麻スープは少々辛め、辛味に弱い人は錬り芥子を溶かすことは必要ないと思われる。
胡麻の風味もそれなりに、まぁ”騙された”て言ううことは全く無い。
チビも準完食(少し手伝いあり)だったが、やっぱ辛いのか水を多めに飲んでいた。
麺のボリュームは標準玉なので個人的には食い足りない感あり。
トッピングの具も、もう2、3種あってくれればと贅沢な希望。

「冷たい和風出汁の きしめんおろし明太」は小学低学年の息子は完食。
汁まで飲み干して、まだ行けそうな雰囲気(チビ助の胡麻風味に手を出す始末)
まぁ、旨かったんだろう・・・
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とけーそー

2015-05-31 16:04:29 | 日記/エッセイ
今年は複数の花が咲きました。
実になってくれるのでしょうか?

何個かは、ポトリと下に落ちてしまっていますが・・・




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『阪急そば』巡り 第一回(その2) 

2015-02-12 00:43:21 | 企画
『阪急そば』巡り
記念すべき第一回は、京都線富田『阪急そば富田(とんだ)店』


ここからは、近くを散策。

京都線富田駅北出口




北側には商店街、向こうにはJRが見える。





富田は大阪府高槻市なのだが、高槻市なんて縁もゆかりも無い所なんですけど、出発した時間が15時過ぎだったんで往復して、あんまり遅くならない場所と言う事を条件で電車の中で選んでみました。

で、縁もゆかりも無いつーてもホンとは20年以上前1、2度訪問してるんですね。
高校の同級生が大学卒業後就職先の配属が関西で、しばらく高槻市にある借り上げの独身寮に居たので、わたしも就職してこちらに配属されてから1、2度泊まりに行ったことがあったんです。
(彼は今、会社は変わらず、結婚して関東に住んでいます)
そのとき寮に向かう途中、高槻城跡を通ったというおぼろげな記憶があったので、今回の行き先を決めたとき、「帰りは高槻城跡に寄ってみようかなぁ~」なんて思い結局行ってしまいました。


富田駅南出口側から東向きに歩いて・・・途中の神社に寄ったり道間違えたりで結局1時間ほどかかって・・・

二つの川を渡りました。「女瀬川(にょぜがわ)」






「芥川(あくたがわ)」イオンがあるわ。







高槻城跡公園 しんど、せこいわ・・・ あーもう暗いわ。










民俗資料館なんかあったりするが、時すでに遅く閉館。







大きな遊具がある広い児童公園ぽいのもある。家族連れにはもってこいかも。




予定より遅くなって、高槻市駅





次回第二回は未定。
ヨメ子供の隙をみて、決行。


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『阪急そば』巡り 第一回(その1) 

2015-02-11 23:56:56 | 企画
『阪急そば』巡り
記念すべき第一回は、京都線富田『阪急そば富田(とんだ)店』

阪急富田駅南出口を左手に進むと目の前に看板が見える。






店舗内は、10人ぐらい座れるカウンターのみ。
カウンター越し目の前でおばちゃんが調理しているのが見える。
入店したときは16時過ぎだったが、60才台ぐらいのおばちゃん一人で切り盛りしていいた。
繁忙な時間帯には人数が増えるのだろうか?



店内はプライバシーや防犯上の問題もあるだろから撮影はしていない。
注文品のみを撮影公開としよう。

今日は第一回ということで、少しリッチ?に≪期間限定 鴨なんば(そば) ¥460≫を注文。



脂ののった鴨肉がうまかった。
麺は二八だろうか、ちと繋ぎが多いか(これは何処の阪急そばも一緒かな/同じところから仕入れてんだろうからな)。
つゆはやはり関西系。
つゆも各店舗比較しても麺同様と思われるだろうが、出し汁を入れる人の微妙な加減、またそのトッピングから染み出すエキス、出てきた時のどんぶりの温度で微妙に味わいが変わってくる。
以前、他の店舗で食したときのものと(鴨なんばではなかった)富田店の今回とは表現のしようがないんだけど、やはりその店舗独特の味わいがあった。
(なーんだか、気分の問題とも言えるが(^^;))

すこし熱めの汁を飲み干して店を出た。

「ごちそうーさんです」




店を出て、吊るしてあるポップを見て「わちゃー」と、思ってしまった。
富田店のお勧めって、ラーメンだったの・・・
店舗内のお品書きにラーメンがあったので、「あー、ここラーメンもやってんだ」と、思ったが疑いもなくそばを注文。
自分の後3人入ってきて、みなラーメン系を注文してたんで「ふーん」て、感じてたんだが、そーだったのね。

機会があれば、ラーメン系を注文しますか。



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新企画

2015-02-11 22:08:15 | 企画
阪急沿線に住むようになって随分経つが、沿線めぐりで暖めていたことがあってそれが「『阪急そば』巡り」。

阪急そば


それまで漠然とした企画であったが、車がなくなり移動手段が、公共交通機関、我が自転車や足だけとなり、

「遠出するには電車を使うしかないのかなー」
「最寄は阪急電車やし、阪急沿線が関の山。。。」
「まぁそれでも京都ぐらいは何かいくネタはあるやろな」
「なんか、普通に乗ってもおもんないし、面白い企画ないやろか」
と、思案していたところ、

「そうや!、思い出した『阪急そば』巡りがあった!」

で、阪急そばだけでなく、近畿圏の駅中、電車関連施設の立ち食い店舗の完全制覇計画なるものを企画した。
銘打って、「『阪急そば』巡り」+「『近畿圏沿線立ち食い店舗』巡り」


まずは、阪急沿線から攻めることにして、阪急そば店舗の一覧表を作成。
つーことで、先月から「いつから始めようか」、「いつ行こうか」と思っていたところ、今日午後からヨメと子供らが出かけることになって、
「今日や!、今や!」と、
「『阪急そば』巡り」の記念すべき第一回を本日挙行するに至りました。

まー成り行きで出発したため、行き先は道中電車の中で決定した。
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神戸在住 だった頃 (終わり)

2015-01-20 00:36:37 | 日記/エッセイ
18日は二度寝した。。。 続きをUPしようと思っていたのに。。。

                 妖怪のせいなのね・・・・


一時帰還から、約一ヶ月間神戸での生活となった。

3月に出張先の鎌倉に戻った時、「地下鉄サリン事件」が発生し、まぁ色んなことが起こった年だった。

一時帰還中、水は出ない下水も配管が壊れマンションの管理会社からトイレを使わないでくれと言われ難儀した。
大の方は平日は極力会社で済ます様にして、土日は近くの公立学校や公園の避難所に簡易トイレが設置されていたがかなり汚く、贅沢だがわざわざ大阪梅田まで阪神電車で出て朝昼兼用の食事を取り、阪急or阪神百貨店や駅ビルなどの綺麗なトイレで用を足した。
小はベランダで用を足して水で流した。
梅田まで出る手段が無ければ、我慢して簡易トイレを使ってただろうな。

水は20Lのタンクを大阪で購入し、阪神本線御影駅の高架下にある御影市場「旨水館」のお豆腐屋さんが、地下水をくみ上げていて無料で提供してくれていると言うことでそこを利用させてもらった。
食料は近くのコンビニやスーパーは物が入らず、学校などの避難所でパンやパックジュースの配給があり、土日はそこを利用させてもらった。
何度か御影公会堂で炊き出し(配給車が来た)があり、暖かいビーフシチューなどを食べたこともあった。

お風呂は平日、会社の帰りに阪急塚口駅近辺で被災を免れた銭湯を利用した。(それらの銭湯は、現在すべて廃業して無くなった)
自宅の近くにも銭湯があったのだが、震災でつぶれてしまった。
土日も入りたいときは、阪急塚口まで出てきて利用した。
春になって水道、ガスが復旧したがシャワーの最中、急に赤水になるなど不安定な供給がしばらく続くた。

徐々にライフラインが復旧してくると、コンビニやスーパーも営業し始め食料や生活必需品の入手に苦労することもなくなってきた。

鉄道3線の6月になっての完全復旧【大阪-神戸間】は、人の流れが頻繁になり神戸の街(三宮だけだが)も活気を取り戻すきっかけになった様だ。
私はというと国道はなんとか復旧し利用できるようになった5月頃、電車での移動がまだ不便なとき、無性に車が欲しくなって買ってしまった。
車所有開始は震災からということで、丸20年ということだ。
(実際は、大学院卒院まえ3ヶ月間中古のスターレットに乗っていた/就職後処分)

まぁ、車を買っても買った最初の頃は出張三昧であまり乗れてなかったなぁ~。

しばらくの間、鎌倉に行ったり来たりだったが神戸に滞在中は余震に悩まされた。
揺れが来るのが判るんですよね。
揺れが始まる直前、外から『ごーぉぉぉ~』と言う音が聞こえてくる、そして『グラグラ』。
震災当日を経験した人は、余震もたまらなかったことだろうな。(精神的に)

震災から20年経って、神戸市民の40%以上が震災以降に生まれたか転居してきた市民になっているらしい。
東日本大震災も時が経てば、阪神淡路大震災同様それを経験していない世代となるのだが、後の世代にこの体験、その対策・対応を語り継いで忘れないようにせなあかんのやろうなぁ。


では、このタイトルはここまでで

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神戸在住 だった頃

2015-01-18 00:02:14 | 日記/エッセイ
阪神淡路大震災

1月17日 阪神淡路大震災発生から20年。
今日(下書きしているうちに昨日になっちゃった)は朝からTVでは追悼式典の中継やら特集番組の放送が行われていたが当時、神戸在住であった私も思うところがあったりする。

と、言っても地震当日は会社の鎌倉地区へ長期出張中で、その恐怖を体験することはなかった。


ちょっと、そのときの事を思い出してみたい。

それを初めに知ったのは、会社の長期出張者用寮の食堂に据え付けてあるテレビでのニュース報道だった。
その朝7:00頃、寮の管理人のおばちゃんとテレビに映し出される神戸市辺りから上がる煙を見ながら、
「どうなってんのかねぇ アパート(ワンルームマンションだが)心配じゃないの」と、会話しながらご飯を食べた。
その被害の甚大さを思い知らされたのは、出張から一時帰還してからだった。

勤務先の尼崎の製作所も当日は復旧作業などで、所属部署とは連絡がつかなかった気がする。
(20年も経つと記憶が曖昧)
数日後、ワンルームマンションのオーナーと連絡がつき(奈良に在住)、建物自体は大丈夫で水道は止まっているが電気は通っていて、管理会社が各部屋のブレーカを落としてるとのことだった。
まぁ長期不在で冷蔵庫には生ものは入ってなかったんで・・・

震災から約2週間後、一時帰還命令が出ました。
大阪方面から、自宅の最寄り駅までまだ電車が復旧していないと言うのに・・・
(当時、神戸市東灘区御影中町にワンルームマンションを借りて住んでいた)
更に追い討ちをかけるように「特許もまだ書いてないよね、提出期限来るよ」、って
全く・・・
「ご無体な」と、思いましたよ。

一時帰還が短期だったのかどうだったかも、記憶が曖昧。
一度出張先へ舞い戻って、改めて戻ってきたような気がするが・・・

帰ってきた初日の宿は、会社の1つ上の先輩か同期の寮だった。
神戸の自宅へ戻るのに、泊まった先輩の自転車を借りたのを覚えている。
自転車は結局返せず、5000円ぐらいで売ってもらうことにした。

国道2号線をママチャリこいで神戸市東灘区まで。
どれくらいかかっただろうか。
西宮を越えた辺りから歩道には、倒壊した家屋の瓦礫や何やらで自転車をこぐことが出来ずほとんど押して歩いた。
発生から2週間を経っていたが、神戸までの道は家族や知り合いを探しにいくのか、または食料や物品を届けに行く人なのか混雑していた。
結構きつかったが、かかった時間がどれくらいだったのか全く覚えていない。
とりあえず日が暮れる前に、自宅へ到着したはず。

なんとか辿りついて自宅の玄関を開けると、入ってすぐのキッチンにあった冷蔵庫から酒のビンが放り出され、部屋に入ると照明のカバーは落ち、TVとパソコンのモニターが倒れ、部屋中のあらゆる物が中央に集まっていた。

当時の写真を使い捨てカメラで撮ったんだが、何処にやってしまったのか。(当時はまだデジカメなんて無い)
福岡の実家に置いてきたかのかな?

通勤経路は、[阪急御影-阪急塚口]なのだが、阪急は神戸線が武庫川橋梁が落ち、JRも同じく。
1月末までに阪神が「梅田」から「御影」の手前「青木」まで復旧したので、[阪神青木-阪神今津/阪急今津-阪急西宮北口-阪急塚口]のルートで通うことになる。
その後しばらくして「御影」まで復旧した。
阪急神戸線は6月に全面復旧となる。

自宅に戻ってから、毎週末自宅周辺と三宮(一回だけ歩いて行った)を写真に収める。
(写真の行方は先の通り)

自宅前の二階建ての木造住宅は脆くも崩れ、周囲の一戸建てやマンションもかなりの打撃を受けていた。
JRの高架も無残に落ちていた。
阪神電車の石屋川高架車庫はほぼ全滅。

三宮の行きつけだったショットバーが入っていたビルは助かっていた。
建物を見た後、メリケンパークでショットバーの店員と劇的な再会を果たす。
また夫婦でやっていた焼き鳥屋は木造の建物が傾いていた。
入り口には「家族全員無事です。。。ここにいます・・・」の張り紙があり安堵した。
当時小学生低学年の息子さんがいて、早い時間に訪れたとき、たまに店ののカウンターで宿題?漫画の本を読んでいたりしていて安否を心配していた。

ショットバーは震災後再開してその後も常連として訪れたが、焼き鳥屋はそれ以来行き先不明で再会できていない。
もう引退しているだろうな。
(ショットバーも結婚後足が遠のいていて、数年前訪れてみたが無くなっていて残念)
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アルファロメオ156 その後

2015-01-17 23:57:32 | 日記/エッセイ
アルファロメオ156 ツインスパーク

修理費用出ませんでした。

廃車です。

1/20追記
廃車つーか、ディーラに譲渡です。(何ぼか手に入ればと。。。甘かった)
処分手続きはサービスと言う事で。
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