ガザ・パレスチナと共に生きる 白杖記

◆ひかるの呟き◆12/4&12/5

5日、福岡市で闘病中の、ガザに家族をもつ女性から電話があった。5日朝のハンユニス攻撃のニュースに恐怖に襲われ、いたたまれずに電話してきたのだろう。
この数か月はガザ北部の包囲・破壊・殲滅の軍事作戦にイスラエルは集中しているとの報道だった。
しかし、注意深く見れば、決して攻撃がガザ北部だけに集中しているのではなかった。中部、南部、ガザ全域への攻撃は休むことなく続けられていた。いつかは彼女の息子たちが避難しているハンユニス近郊にも攻撃があることは覚悟していた。それが現実になった。
彼女の、息子たちは生きてるだろうかという震える涙声に返す言葉がb見つからない。
最近は、日本時間の午後に息子たちとの電話連絡で、お互いが生きていることを確認してきていた。勿論電話は必ず繋がるとは限らない。繋がらなければ、また不安に襲われる。繋がり、生きていることを確認できた時の嬉しさと、確認できない時の恐怖の繰り返しだ。
彼女はステージ4と宣告された癌の抗がん剤治療経過への不安と、イスラエルによって強制される「順番」が息子たちにいつ回ってくるかの恐怖の中で、日々何とか生きている。
私は、午後に約束している電話が繋がるといいね、と言うのが精いっぱいだった。どんな言葉も息子たちの生きてる事を保証などできない。電話は終わった。
夕方近く彼女が電話で知らせてきた。生きてた。と。息子たちは一晩中、ミサイル攻撃の爆撃音とそれが当たる恐怖に震えていたそうだ。いつでも逃げ出せるように、荷物をまとめ、抱きしめて、起きていたという。
彼女の息子たちが何をしたというのか。ガザで生まれ、外に出ることも許されず、占領と封鎖の中を生きてきただけではないか。
パレスチナ人であることを、イスラエルは、死刑判決理由だという。人間以下の動物だから、だともいう。
私たち日本人は80年前には、同じことを朝鮮半島や中国大陸でやっていた。それがどんなに人間の尊厳を否定したことかを学んだはずなのだが、イスラエルの人々にその行動をやめさせることもできず、説得することもできていない。その現実を突きつけられている。だからこそ、私たちこそがガザ攻撃を止めなければならないのではないだろうか。
停戦を叫ぼう。どんなに小さい声でも。

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