ガザ・パレスチナと共に生きる 白杖記

◆ひかるの呟き◆11/21

ガザの人々は今日も殺されている。殺された人はこの1年と50日で4万4056人と報道されている。このイスラエルによって殺されたガザの人々の現状をどう表現すれば伝えられるのだろうか。1日平均107人が殺された。このような数字では言い表されない。
占領し、封鎖し、逃げ場を奪ってミサイルと戦車で攻撃する。ミサイルや砲弾のみならず、食料・水・医薬品などを搬入させず、ミサイルとは違う暴力で殺している。人間の尊厳を奪うことで、死に追いやっている。
戦闘員であることが問題なのではなく、ガザに住むパレスチナ人であることが殺される理由なのだ。だから老いも若きも、男も女も、無差別に殺されている。しかもこれらのジェノサイド・大量虐殺が密かにではなく、世界中の人々が注目している前で、堂々と行われている。
殺戮者は己を恥じるのではなく、殺戮の積み重ねがあたかも正義であるかの如く、行われている。どれだけ沢山のガザの人々を殺したかが、自分たちの生存の保証であるかのような逆転が起こっている。
ジェノサイドが事後に明らかになるのではなく、現在進行形なのだ。私たちの目の前で起こっているのだ。なぜ、止められないのか。
無関心は加担者だと指摘される。しかし関心を持ちながら、いやガザ・パレスチナとともに生きると言っている自分自身が止めることができない。無関心を装う事より、問題は深刻だ。
まだできることがあるのにあきらめていないだろうか。わずか1週間に1回の1時間半のスタンディングの無力さは身にしみてわかっている。今すぐ停戦に向かって、まだできることはあるはず。国連や人道支援団体の援助が阻止されてもなお、ガザの人々への、ささやかであれ、命を繋ぐ行動はまだあるはずだ。必ずある。

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