◆◆10/27&10/28記事◆◆
◆10/27(日) ガザ北部への空爆で死傷者 「最悪の局面」と国連当局者(CNN)
26日夜、北部ベイトラヒアの住宅地がイスラエル軍の攻撃を受け、数十人の死傷者、救急活動が全くできない。ベイトラヒアのカマル・アドワン病院は数日間にわたって軍に包囲され、病院の男性スタッフを全員拘束し、女性を院内のひと部屋に集めて食料や水も与えずに監禁した。院内で26日、軍の砲撃を受けて病院責任者の息子が死亡した。
◆10/28(月) 人質全員の解放提案か ハマス、即時停戦の「包括案」 報道(時事通信)
人質全員を一度に解放する「包括案」が交渉仲介国に示される。包括案には、即時停戦とともに、軍の完全撤退と、同国に収監中のパレスチナ囚人の釈放が含まれている。モサドのバルネア長官が27日、停戦交渉の本格化に向けて米国やカタールと協議するためドーハに出発した。包括案は、この協議終了後に提示されるとみられる。
◆10/28(月)ガザ停戦交渉、ドーハで再開 エジプトが2日間の戦闘停止を提案(CNN)
約2カ月ぶりとなるこの日の高官協議には、米国、イスラエル、カタールの代表が出席、エジプトはシーシ大統領が27日に発表した、ガザの戦闘を2日間停止し、人質4人と、イスラエルで拘束されているパレスチナ人を交換する案を提示し、もし2日間の戦闘停止が実現した場合、恒久的な停戦に向けて双方が交渉を行い、10日以内に合意を目指すとした。エジプトはハマスとも接触している。パレスチナ人は今年4月現在、訴追もされていない3500人を含め、9500人以上がイスラエルの刑務所に留置されている。この中にはガザで拘束された人は含まれていない。
◆10/28(月) エジプト、「2日間停戦案」を提示 ガザ交渉、2カ月ぶり再開(時事通信)
27日、ハマスは「人質交換のほか完全停戦などを一度に解決する包括的取引を望む」と語った。ネタニヤフ政権はハマスの意思決定状況を把握するため、まずは小規模な取引を望んでいる。バルネア長官がドーハに到着した。CIAのバーンズ長官らと会談。
◆10/28(月) ガザ停戦交渉で仲介国エジプトが新しい案提示 2日間停戦し人質と囚人の交換実施(テレビ朝日系(ANN)
エジプトの提案を、イスラエルは、閣僚の大半が賛成したにもかかわらず、ネタニヤフ首相が反対したという。
◆10/27(日) イスラエル・モサド近く トラックが突っ込む 1人死亡 テロ事件か(毎日新聞)
テルアビブで27日、トラックが猛スピードでバス停に突っ込み、1人が死亡、30人以上が負傷した。近くに対外諜報機関モサドの本部がある。バス停には多くの兵士がおり、高齢の市民もいた。負傷者の多くは高齢者だという。トラックを運転していた男性は、イスラエル中部のアラブ人が多く住む街の出身で、その場で射殺された。1日にはテルアビブで通行人が銃などで襲撃され、7人が死亡。18日には隣国ヨルダンから男性2人が侵入し、銃撃戦でイスラエル兵2人が負傷した。
◆10/28(月) イラン大統領「戦争求めない」 イスラエル攻撃受け ガザ停戦協議ではエジプトが新提案(産経新聞)
イランのペゼシュキアン大統領は27日、「戦争は求めないが、国は守る」「攻撃に見合った対応」を取ると述べた。軍の攻撃でガザで27日に53人が死亡し、レバノンでも攻撃を続け、27日は21人が死亡した。
◆10/28(月) 国連事務総長、イスラエルの攻撃で生活「維持できず」 ガザ北部 (CNN)
国連のグテーレス事務総長は27日、ガザ地区北部の状況は、軍事作戦による「荒廃とはく奪」で、ガザ北部の々の生活は維持が不可能だという。ガザ北部に閉じ込められたパレスチナ民間人の苦境は耐え難い。がれきの下敷きとなった民間人や、命を救うための医療を受けられない病人や負傷者、食料や避難所を欠く家庭、家族が引き離され、多くの人々が拘束されている。イスラエルは、必要としている人々に人道支援を届けることを拒否し、多数の人命が危険にさらされ、10月の最初の3週間で、イスラエルが認めた援助は4件だけだ。ポリオワクチンの接種も延期され、数千人の子どもの命が危機にさらされている。
◆10/28(月) BBC特派員「私はガザを脱出した、しかし残る家族を思うと罪の意識が」(BBC News)
イスラエルはガザ地区のあらゆる場所を攻撃し、イスラム組織ハマスを狙って町や村に進撃する。このことはもう、この1年間のほとんどを通じて、日常と化してしまった。いとこたちからは、それから数時間、音沙汰がなかった。その間ずっと砲撃されていたのだ。そしてついに、ボイスメールが届いた。「4人がけがした。ワファアおばさんが血を出している。危篤だ」という内容だった。私は数えきれないほど電話をかけた。赤十字に。パレスチナ赤新月社に。助けられる人には誰でも。8時間して、イスラエル軍はようやく住民の避難を認めた。負傷者が歩いて脱出するのを認めたのだ。しかし、ワファアにとっては遅すぎた。病院にたどりついてまもなく、けがのために息を引きとった。
私たちの場合、とても大勢の親類がまだガザにいる。私の父も、南部ハンユニスでテント暮らしをしている。ハンユニスは今週またしても爆撃された。私は妻と子供2人を連れて、イスタンブールへ逃れた。そこから父に電話すると、とてつもない罪の意識にしばしばさいなまれる。私のような人は大勢いる。トルコに、エジプトに、そしてさらに遠くのイギリスやアメリカやヨーロッパなど世界各地に。身の安全のために逃れるしかなかった先々で。しかし、全員が出られるわけではない。出られるのは、高額の脱出費用を払える人だけだ。
「まだあそこに家族も友達もいるんだ」「何もかも、避けられたはずだ。でもハマスはそう思わなかった」イランの支援を受ける武装組織ハマスが昨年10月7日にイスラエルを襲撃したこと、そしてその結果として起きたことを、恨めしく思っている。「ガザは愛しているが、もしハマスが権力を握り続けるなら、ガザには戻らない」「無謀なリーダーたちがイランのためにやる危険なゲーム」で、自分の子供たちが「手駒」のように扱われるのは受け入れがたいからだ。
亡命者としてエジプトで暮らすのは楽なことではない。当局はパレスチナ人の一時的な滞在を認めているものの、正式な在住を認めていない。教育その他の重要な公的サービスの提供も、一部を制限している。ガザを脱出した人の多くは、ガザに残る親類を支えるために送金しようとする。しかし手数料は割高で、戦争の商人たちは30%を懐に収める。「大切な人たちの苦しみを元手に大金をもうけているのを見ると、本当につらい」
昨年10月7日以来、時間は止まってしまった。私たちは まだあの日から、先に進めていない。私たちの体はガザを離れたかもしれない。しかし、私たちの魂と心は、ガザに残る大切な人たちとしっかり結ばれたままだ。