お茶でもどうぞ2

「お茶でもどうぞ」の後継です

久しぶりに

2021-09-21 17:30:27 | 日記


もう、夕方にさしかかっているのに24℃もあります。Tシャツ一枚でいられます。
今はお彼岸の時期ですから、暑さはこのあたりまででしょうか。
もっとも、今日は暑いとは言えませんが、寒くもないです。

 

何をしなくても汗が出てくるようでは、自転車乗りは苦しくなるでしょうが、今日は
そうでもないので、久しぶりに自転車乗りをしました。
おおよそ10km弱くらい走りましたが、快適でした。もっとも、電動アシスト自転車
なので、平地と下り坂は電源を入れません。アシスト(ペダルをこぐ力を補助する)
に頼るのは登り坂だけです。

   
 

途中、ちょっとした史跡に出会いました。 車 丹波と言う人は、徳川幕府時代に
なり、佐竹氏が常陸国から秋田に国替えになったときに、反発した人と言われて
いる佐竹氏の家臣です。

鼻の向くまま、気の向くままに走り回りました。

 

何の変哲も無い風景ですが、この青い扉を写したのではなく、その左側の石の作りものを
撮ったのですが、これにはわけがあります。
これは、1929(昭和4年)から1938年(昭和13年)まで、水戸と茨城町の長岡
という所まで走っていた「水戸電気鉄道」という鉄道の路線の、おそらく高架の一部だと
思われるものの遺跡です。
子供の頃、父と水戸に行く時に、通る度に話を聞かされたので、いまでも覚えています。
鼻の向くまま走っている間に、ここにさしかかったので、撮ってみました。
私にとっては、子供の頃の一つの思い出ですね。懐かしいです。

 

その後、また鼻の向くままに走って、こう言うところにいきました。お寺です。
ここは、

 

この門の前に、上の画像の寺の名前の書いてある碑の奥に、こう言う碑が立って
います。
ここも史跡です。その昔平家の祖先の平氏が常陸国に来て、今は石岡市という所に
ある府で常陸国を治めていました。
その家から出た人で有名なのは、同族間で争った平将門です。その平氏の分家が
水戸の此処にきて、この一帯を治めていたという話です。
出自は平氏(なのですが、この地域に来て吉田氏を名乗ったようです。
常陸大掾吉田氏(ひたちだいじょうよしだうじ)と言われます。掾は身分を表す
ひとつの位の名称です。
歴史のブログではないので、あまり細かくは話をするのは遠慮します。

 

お寺に上がって行く途中に、こういう場所がありました。なにやら、堀の跡なのかと
思わせるような、嘗ては人が掘った溝だったのではないかと思わせる所でした。

 

別に、史跡巡りをしようとした訳ではありませんが、高校生の頃に通った道付近を
走っているうちに、こういう所にたどり着いたわけです。

結構な運動になりました。
 
 


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