いよいよ、明日一日で8月が終わります。生徒だった頃は「あ~。夏休みが終わっ
ちゃうなぁ。」と、残念に思ったり、友だちにまた会えると期待したり、複雑な
8月の末でした。
それに、宿題が終わっただの、まだ終わっていないだのと、学校のことを考えると
さまざま気持が揺らぐ月末でした。その他で気持が複雑だった月末は、8月以外では
3月だったでしょうか。
次の学年では、どんなクラスになるのかとか、担任には、どういう先生がなるのか
とか・・・。
思い出はいろいろありますが、さて今日は・・・。晴れですが、午後の4時頃頃に
なると、やや雲が多くなってきたようです。少しはまた雨が欲しい感じがしますが、
なかなか重うようにはなってくれません。
夏ですから、草むしりはこれでお終いということは無いのですが、まあそれなりに
やってきたので、この頃の朝は、東隣の畑との間に植えてある、腰の高さくらいの
垣根の剪定をやっています。
電動式の、ヘッジ・トリマーとか、バリカンと言われる剪定機は、充電式ではない
ので、長~~~~くケーブルを引っ張って行くのですが、後始末を思うと手間も
時間もかかって嫌なので、剪定ハサミを使っています。それなので能率は悪いですね。
そのうちに充電式のを買いましょう。
せっかく、きれいに咲いているのに、ゆっくりと見るゆとりがありませんね。気持の
ゆとりが、あまりにも無いなぁと思う時があります。何せ、花を見たいと言うより、
暑さを避けたい、暑さから逃げたい、と言う気持の方が強いですからね。
これを何とかできれば、花を眺めたり、子供の頃のように、空を行く雲を眺めたり
出来るのですけどね。
子供の頃から見てきた、母屋の近くのサルスベリの花。
サルスベリは、木肌が木の皮が無いように感じるので。子供の頃は「裸の木」と
言っていました。サルスベリと言う名は、大人になってから知ったかと思います。
と言うのは、中・高・大学生の頃は、この花が友だちの間で話題になることが
無かったでしょうから。それに、その年頃には、友だちとの会話の話題は、庭の
植物の話などはほとんどないし。
そのほか、メダカなどは「ペンペンザコ」と呼んでいましたね。子供同士で通じる
言葉です。
魚を捕る網が買えなくて、ザルを使って魚を捕っていました。アユとかハゼは
川の中程を泳いでいるので、ザルでは捕れません。ザルで魚を捕る場所は、セリが
生えて居る所の下流に手に持ったザルを置き、上流側から片足で、ザバザバザバと
ザルの方をめがけて荒立てると、魚はザルの方をめがけて逃げますから、ザルに足が
届く頃に持ち上げると、ハゼとかドジョウなどがかかりました。
カメラのメモリーカードが行方不明になってしまいました。
何せ小さいものだし、机の上はゴチャゴチャで探しにくいし・・・。
今日、撮った分は記録されていなかったことになります。いつものように、
大したものは撮れていませんが。
小さな物ですから、たぶん見つからないと思います。
それにしてもカメラのメモリーカードを差し入れる所の蓋はきちんと
閉まっていたので、知らない間にそこが開いてカードが落ちたとは
考えられないです。
家内が、地区のグラウンド・ゴルフで優勝しました。
🌞
晴れです。今日ももちろん暑いです。昨日よりも気温は低く、30℃です。
夏は疲れます。暑さとの戦いだけではなく、草むしりやら草刈り。これは
機械を使うのですが、それでも操作したり、一緒に歩かなければならないので
疲れます。木にぶつからないようにとか、枝葉に顔をなでられたり、蚊が耳元
まで来るし。
それにしても、夏は長いですね。何時もの年ですと、お彼岸過ぎても暑い日があり
ますね。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言う言葉がありますが、毎年「あれは嘘だ」と思います。
その言葉が作られた頃は、そうだったのかも知れませんが、はて?いつ頃からその
ように言われるようになったのでしょうかね。
近頃は 温暖化のせいだろう と、軽く決めつけられますが、場合いによっては、
そう簡単に決めつけることは、良くないこともある可能性がありそうです。
夕方になってきました。もう涼しい時刻なので、更新が終わったら着替えて、もう
ひと働きしようと思っています。 もちろん草が相手です。夏は忙しいですね。
晴れです。気温は31℃。いま夕方になってきている頃なのですが、日中はもっと
高かったようです。
上の行で、「ころなのですが」と入力し、漢字変換をさせると、先ずは「頃なの
ですが」とは変換せず、「コロナのですが」となります。
今はワープロ機能はコロナと変換することが多いようです。そのせいで、習慣化と
でも言うのでしょうか、先ずはコロナと変換するようになっているようです。
この頃は、早朝の仕事は左隣の家の畑との境に植えてある、マサキと言う木の畝の
剪定を始めています。一気にやると、草むしりとは違って、体に負担がかかり易い
ので、少しずつにしています。何日までにはお終いにしなくてはならない、と言う
ようなことは一切ないですから。
ただ、仕事は剪定ハサミを使う程度の、弱い力を出せば良いので、楽です。かと
言って、やり過ぎると大変です。疲れが溜まりますからね。
ただ、カタツムリが多く生息しているので、彼らを潰さないようにと注意しなければ
なりません。何の罪もなく、静かにかわいらしく暮らしているところを荒らして
すまないなと思いながらです。
元々は山林だった所を開墾して畑地にしたところなので、篠などが除去できずに、
長いマサキの木の列が彼らの存在をゆるしているのを良いことに繁茂しようとして
います。「そうはさせじ」と、刈り取るくらいはしています。が、篠dすから、根が
残るので、彼らにダメージを与えるようなことは無いので、また芽が出てきます。
話しはコロコロ変わりますが、これは我が家から見れば南の方角で、電線の下は
市道なのですが、もっと南の方にある家の裏にあった竹がどんどん根を伸ばして来て
我が家の畑の脇の山で繁殖しています。が、その竹に這い上がろうとして頑張って
いる植物があります。ご存じ、ツタのある植物です。葛(くず)と言うそうですが
ちょっとした藪など、全面に覆ってしまうこともありますね。
竹も頑張っています。ツタに乗っかられても枯れませんね。
夕方になってきているのですが、暑いですね。さっぱり気温は下がりません。
もっとも、今はまだ涼しい夕方などは望む方が、時期が早すぎるかも知れませんね。
今日は、外での仕事は垣根の剪定と草刈りが主でした。草刈り機の洗浄もしましたが。
これをやらないと、刈られた草が飛び出して自分に向かって来ます。草だけでは
なく、土やら、もし小石があったら、それも飛んできます。
矢印の部分です
自転車なら泥よけにあたる機能をはたしている部分が錆びると、小石やら土が私を
めがけて飛んで来るわけですから、仕事が終わったら、泥よけを良く洗い落として
錆びないように注意しています。また、泥よけを傷つけるので、小石のある所は
刈らないか、もしやるにしても、回転する刃の位置を高くして、石を巻き込み上げ
ないようにして
やっています。
晴れです。空にはぽっかり雲が多めです。中には入道雲のように上へ伸び上がる
ものもありますが、カミナリはきません。
気温は午後4時15分現在で30℃です。
私は気がつきませんでしたが、昨夜は一時かなり強く降ったそうです。まあ、適度に
雨があることは良いことです。今朝は早く家の前の庭の草取りをしました。
リュウのヒゲと言う、よく庭の端っこに長い列にして植えたり、帯状にして植えて
ある草があるのですが、それに似たようなもっと何倍も長い葉を持つ名前はわからない
のですが、その草が蔓延って、リュウのヒゲを征服してしまいそうになっているので
駆除をしました。が、混じり合って生えていることもあって、完全に駆除するのは
難しいです。
まあ、焦らずに時々注意して見つけたら手を惜しまずに駆除していこうかと思って
います。
ですが、とにかく草むしりをする箇所が多く広いので、駆除どころか、押したり
引いたりの感じで、結局は雑草に負けてしまいますね。四六時中草むしりをして
いるのが嫌なものですから。「草むしりをするためにうまれてきたんじゃぁねえぞ」
なんてことは思いませんが、冗談でそう言うこともあります。
水害に見舞われて、かなり荒らされてしまったり、浸水やら土砂が流れて来て家が
被害を受けた地域は、たいへん気の毒に思います。昔と比べると、川などはずいぶん
整備されていると思いますが、被害の状況をニュースなどで見ると、まだまだ不十分
ですね。自然の力とは全くすごいものです。私たちは自然の恩恵を受けて生活をして
いるわけですが、良いことばかりがあるとは限りませんね。
被害を受けないようにするには、莫大な費用もかかることでしょうし。
そうは言っても、やはく何とかできないものかと・・・。
今日は、更新する時間がおそくなってしまって、もう少しで午後7時になります。
日中の気温とは違うのですが、現在30℃です。天気は晴でした。
用事があって出かけた時に、途中にあったお寺に寄ってみました。このお寺は城里
町(しろさとまち)にある小松寺と言うのですが、名前からして歴史に出てくる人と
縁がある寺です。
平 清盛の長男、重盛(しげもり)は42歳の若さで亡くなってしまったそうです。
他の兄弟たちと違って、思慮深い人だったようですが、残念な事に早世してしまった
のですが、残された弟たちは彼ほどの人物ではなかったようで、悪名高い平家一族と
言われるようなことになってしまったとか。
ある所に出かけたのですが、その際にその重盛の墓があると言うお寺の近くを通った
ので、本当に何十年かぶりに参拝しました。
何とか読めるでしょうか。お寺の名前は小松寺と言いますが、この小松と言う名は
私の想像ですが、平 重盛は小松殿と言われていたので、お墓があるということの
理由で小松寺と言う名なのかなと??
石段をいくつか上っていくと、舗石が数個ずつある墓地を下にして、一番上に彼の
墓だと言う墓石がありました。
それにしても、どうして京の都からはるかに離れたこの地に平家の長男の墓が
あるのでしょうか。
説明板に依ると、腹心の一人が重盛の遺骨をかかえて、常陸国に来て今で言えば
県知事にあたるような人常陸大掾(だいじょう)に依頼し、この地に埋葬したと
書いてあります。そういう話は疑えば切りが無いでしょうが。