女として大阪で暮らす。(朝鮮婆ではないよ)

自然を愛する人です。
そして動物を愛する人です。
植物も大好きです。
ニコ生すき、日本の糞ばばですよ。

心が熔けるらい病のような、私。

2012-05-27 | 日記
顔が熔けてゆく、そして体が熔けてゆく。
化け物のように、人間らしくなく、崩れてゆく自分。

生きているのは、恥をさらしていくため、人に後ろ指さされるため、
それとも、このつらい人生を生き抜いて、次の無の世界への、扉をあけるため。

私の心は、らい病患者のように、溶けてしまい、人間の心が信じられないものとなった。
誰にも会わない、孤独を好むのは、もう心がほとんど熔けて、崩れて、すこしだけだから。

人間らしい考えがないのは、私の心に住みついたらい病菌のように、こわしたのだ。
見えない苦しみなどだれにも分からないだろう、見えない痛みなどわからないだろう。

苦しむぐらいなら、もっとすべて熔けて消えてしまったら楽かもしれない。
しかし、らい病患者のように、命をひそかにまっとうしなければいけない。

誰にも理解されないで、一人ですべて、崩れおちていて、心だけからっぽになり、
やがて、苦しみのない、てんごくである、無の世界へといざなうだろう。

老いることは怖い、私はこれ以上崩れることも、怖い、
心が、氷のように、すべて溶け出すような、夏が嫌い。

死にたくなる時に?!

2012-05-14 | 日記
自分が生きているのが、無意味に思えるときに、私は死にたくなる。
同じことの繰り返しと、挫折感、孤独感。
すべては、おなじなやみをぐるぐるしているだけなのに。

夏が来るたびに、今年も嫌な暑さと寝苦しさに悩まされる。
そして、一つ肌も年を取り、きたなくなっていく。
健康も、少しずつ、崩れていくようになる。

それでも、生きていくのは、たぶんしかたがないから。
死んでも、迷惑をかけるだけだから、生きて迷惑をかけるほうがまし。

生きているときは、不幸だと感じていても、死んでしまったら、なにもない。
何かを感じて生きている今、それだけでも、生きている意味はある。
たぶん、楽しい時よりも、苦しい時のほうが、生きているかんじがあるし。

死にたくなる時には、あなたにいいたい。
適当に、かんがえること、まじめに考えすぎると、だめ。

生きることは、たまにあきてしまうかもしれないけど。
それは、人間の義務であり、権利だから、生きなくてはいけないのだ。

この世で一番好きな人?

2012-05-11 | 日記
この世で一番好きな人は、誰ですか?

たぶん、恋人?
わたしは、おかあさんです。

優しいというよりも、もろくて神経質で、いつまでも子供のようだった母です。
いつも、いつも、心配してくれる唯一無二の親友であり、肉親でした。

母さんは苦労して、自分を育ててくれたのに、自分は子供に恵まれなかった。
母になれないのに、女として生きているなんて、情けなく思う。

おかあさんをきらいなひとはたぶんいない?!
どんなに、離れていても、死んでからも母は近くにいて、守ってくれている。

今度の母の日には、お母さんの好きなお花を飾りましょうか?!
そして、子供のころを思い出して、天神様にお参りしましょう。

母の日は、みんなの気持ちが優しくなる日ですね。

春 散りゆく 

2012-05-10 | 日記
夏は嫌いだ。
私には、もう夏の暑さにも耐えられない弱いからだ。

じんましんに悩み、不眠に悩み、熱すぎる部屋に悩む。
春の、心地よさと違い、地獄のような部屋に苦しむ。

でも、このまま春の花のように、枯れちゃえばいいのに、
生きているのは、不思議だ。
水をやる相手もいなけりゃ、しあわせになることもないのに、
毎日、生き続ける、不思議な枯れ花、それでも枯れ果てるまで生きる。

つらけりゃ、枯れてゆくように、しなびてなくなりゃいいのに、
春の終わりとともに、首が萎れて倒れた花のように、
自分もおわりたいと、思う。

でも、夏の花のように、負けない自分も少しいて、少しの元気でいきていく。
暑い日でも、苦しい日でも、何の幸せもみじもんもないのに、咲き続ける。
もう、咲かなくてもいい、花を付けなくてもいい、葉っぱのように、生きたらいいんだ。

春は、もう二度と来ないようで、今年の夏は余計つらいようで、
それでも、私の初夏は、やってきた。

つらくても、苦しくても、かれるまでいきなきゃ、それが自分の寿命だから。
きょうも、つつましく咲く、雑草のごとき自分に、言い聞かせている。

一生知らなければよかった、事?!

2012-05-10 | 日記
私が、30歳まで知らない現実が日本の世の中にあった。
それは、差別という現実。
同和問題、差別、いわれもない人を差別する社会。

私は、日本の中にある小さな、そして大きな問題に唖然とした。
生きていくうえでは、知らないほうがいいし、その重荷を背負いながら生きる人がいる。
かかわらなくてもいいなら、それでいいが、私はそのど真ん中で今生きている。

人が人を忌み嫌い、険しい顔で差別する。
そんな世の中で、生きている自分がずうずうしくていやになる。
これもさだめなら、いきてみよう、差別される立場になり、わかった。

とても、うしろめたいし、誰かにさげすまれているようで、毎日憂鬱だ。
しかし、そんな人生も、知らなければそのまますんでいた。
自分の置かれた立場で、人が白い眼でさげすんだ笑う顔をみて、それでも、生きていこうと思った。

どれぐらいバカにされても、人間の苦しみは計り知れないし、それぐらいで心を痛めたら生きてはいけないぐらい、強くなっていた。
さげすまれるのはつらくない、人間だから、心の傷は後から痛むが、まずは体の傷がいたい。

心の傷は、人間だけが治せるし、人間だけが深く残ってしまうように思う。
もちろん、動物は人間のように、心も傷ついてしまうが、それよりもその痛みをわかりながら生きていくのが、つらい、泣いたり、騒いだり、叫んだりできない。

心がつらくても、じっと耐えていかなくてはいけない。
狂人でないかぎり、そっとなにをいわれても、傷つかないふりで生きるのが人間らしいと思う。
しかし、そんな風に生きると、人間はなめられてしまうと最近わかった。

痛い時はいたいというべきで、我慢のしすぎはよくない。
差別には、もっと断固として逆らうべきであるし、許してはいけないと思う。

どんな差別にしても、知らないまま生きたら、しあわせだろうか?
それとも、人間らしく、悩みながら生きていたら、不幸ではない。

人は、生きるのは、小さな課題をかたずけてゆくことで、なやみもそのひとつである。
悩まなくなったら、おしまいの人生だ。
どんなに、今がつらくても、知らないまま終わるよりは、幸せに思う。

人が、人を苦しめている今の現実に、悲しく思うのは、私である。

今を、生き抜く若者たち。

2012-05-10 | 日記
情報はたくさんある、しかし仕事はない。
頭はいい、しかし、それを利用する機会がない。

こんなにも、現代が難しい時代になるなんて、かわいそうな若者たち。
それでも、何かできることはして、仕事にたどり着けない、就職率がある学校では50%しかない。どうして、こんな高学歴で、しかもみんないい子たちなのに。

それは、単に昔と違い、生かせる職場がないのが原因なのだ。
人口の割に、少ない求人と、少ない企業。
就職浪人は、アルバイトで食べるから、結婚ができない時代。

最終的には、子供ができないので、より悪化していくこの世の中。
景気のいい時代を知っている私には、こんな時が来るなんて、しらないほうがよかったとしか、いいようがない。

しかし、今を生き抜くには、精神的にも強くなくてはいけないが、それよりも、運を強くするしかないと思うのだが。

介護施設での、おじいちゃん?!

2012-05-07 | 日記
あるときに、介護施設で実習がありました。
お風呂介助の、実習でしたが、その時元気な認知症の人がいました。

たしかに、体は元気でしたが、お風呂につからないで、元気に仁王立ちしてます。
いつもの施設の人が、またはいらないので、叱っていましたが、なんと元気なのは、●●もなのです、まるで、みせびらかすように、ほほえみまで浮かべて、見たくないのです。

でも、灰になるまで、色気、食い気はあるみたいで、こわかったです。
嫁さんが、見たらすぐに別居になるぐらい、気持ちの悪い光景でした。
いつも、手こずらせているようで、もし、私が身内だったら、やはり施設に送ります。

おじいちゃんは、たぶん、知らないうちに、そうしているのでしょうが、なかなかきもちのいいものではないのです。
他人なら、笑って済ませることでも、毎回家の人がそのようなことをすると、本当に精神的に疲れるものです。

だから、認知症になり、お世話が大変になったら、介護施設に預けるのも、いいことだと思います。たとえ本人は悪気はなくても、いやなものですよ。
特に、色気は、なくならないので、こまりものです。

貴女もこんな時に、身内ならどうしますか?
なんか、いやなかんじしますよね。

みてはいけないもの?

2012-05-06 | 日記
人間見てはいけないものが、たくさんありますよね。
私は、そのみてはいけないものを、少し垣間見てきました。

シャブの販売、中毒者、そして焦げ落ちた死体とか。
一番衝撃的なのは、自殺した直後の、線路。

事件に絡むのは、見たことがありませんが、私の身内は殺人未遂のおかげですごいけがをしたのです。犯人はすぐに捕まりましたが、そいつがでてくるときに、犯人が直接詫びに来るということを、刑事さんにいったそうですが、被害者は、断りました。もちろん、二度も殺人未遂犯を見ることが、堪えれなかったのでしょうね。

私の住む街では、都市伝説のようなことをよく聞きました?

ホームレスが、倒れると二度とかえってこれない、それは実験材料になるから、それから、臓器を取られて、売買されるとか?
確かに、ホームレスは、身元さえ分からないので、助けてもまたホームレスです。

それなら、社会の役に立つ方法で、ひきとられるのかもしれません。
それが何より証拠には、ある大きなお寺の裏側に、献体した人々の墓地があるのです。
もちろん、その中には、ホームレスが入っていると思います。

この世ではなにも役に立たなかった人間が、献体として役に立つ。
なんとも、すごいことで、すぐには納得できませんが、あり得ることだと思います。

医者も人間です。助けるべき命と、そうでない命は、分けて考えるのです。
だから、みんな知っていても、身元不明の遺体は、闇に葬られ、そして役立つのでしょうか?

いつも、思うのですが、この世には、みてはいけない、きいてはいけない、しってはいけない、闇の部分があり、私は、ほんの少しだけ、垣間見たのですが、やはり怖いと感じています。

がいこつ⇒でぶ

2012-05-06 | 日記
私は、皮肉なことに、普通体系の経験があまりないのです。
極端に、痩せているのか、太っている今のような感じなんのです。

普通は、どちらかに偏るのですが、最近はデブに固まりつつありますが、まあ痩せていたころよりも、いろんなことに神経質ではなく、おおらかになったのであります。

普通体系には、あこがれていますが、健康体なら、あんまり痩せなくてもいいかなあ。
しかし、食べ物に凝る自分が痩せようなんて、無理だし、甘いものには目がないし。

素敵な50代なんて、どこの人なんて思いますね。すてきではなく、ダサいけど、元気なおばちゃんでいいと思うこのごろ。

おばあちゃんになるまで、長生きして、のんびり本当はもっと田舎で、生きてみたい。
そんなことを考える今、もう少し、痩せなくては長生きできないと不安ですね。