カリフォルニア便り ーFROM OQ STUDIOー

~南カリフォルニアから~
陶芸家の器と料理、時々王様の日々

ソーサーを作らない私のこと

2011年05月27日 | Ceramics

大好きなデミタス

 

カップ&ソーサーはスーツみたいなもの。

揃いで着てベストなバランスになるように仕立てられているから、格好いい。

素材を選べば、どんなフォーマルな席にも通用する優等生。

でもそれだけに上下を別々で着るとなんとなく無理矢理な感じかも。。。。。

私はそんな風にカップ&ソーサーを見ています。

 

そして私はお皿もカップも作りますが、カップ&ソーサーを作りません。

理由は二つ。

ひとつ目の理由は、ソーサーというのは多くの方にとって大変無駄なもので、

お皿の形をしていながらお皿として使えない、使ってもらえない。

(ま、使おうと思えば使えますが、やはり ”コレってソーサーでしょ?” 感が否めない。)

ふたつ目は、個人的に焼き物と焼き物のぶつかる音が嫌い。

この2点から、私はセットで作る事をしません。


昔から作られて来た形だけにソーサーにはしっかりと役割は有るんです。

カップを伝う飲み物を受け止めるという役割です。

古き良きイギリス人のお茶とミルクの注ぎっぷりを見れば一目瞭然。

ヨーロッパの伝統的な磁器ブランドのものはカップ&ソーサーが揃って初めてひとつの器。

どちらが欠けても、その魅力は半減もしくは全滅。そこはピアスに似てる。

だけど焼き物と呼ばれる種類のカップはどうなんだろう?

木とか貝とか金属とか・・・受け皿として異素材を組み合わせた方が使う方の個性が出ますし、

カップと受け皿が出会う時の音がステキ・・・と思う私が居ます。

この音の事なのですが、焼き物同士がぶつかり合う音は本当に耳障りなのです。

特にお茶やコーヒーを頂きながらお話ししている時等、

カップを上げ下げする度に、カチャカチャとその存在を主張しているようです。

その上若干ワイルドに器を扱う方は、さては壊れたか?と思わせる程盛大な音を立ててしまう。

磁器に比べると土ものはやわらかいので、作り手としてはつい敏感になってしまうのかな?

人の生活音というのは耳障りなものではないですよ。私はそれほど神経質ではないです。

でも、作っている人間としては、人様の会話の邪魔をするようなものを作りたくないのです。

そんな事で私は焼き物の皿をコーヒーカップの友としては作りません。


・・・と思っていたのですが、お断りするのに忍びない方からのご依頼で、作る事に。。。

でもやっぱりセットものは嫌です。いずれ来客時ぐらいしか出番の無くなるソーサーが不憫。

そこで、コーヒーカップ、小皿2種類を同じテイストで、でもセットでなく作りました。

ただ今追及中のPaperシリーズです。

ソーサーみたいに見える小皿は皿として単品でデザインしました。

勿論お使いになりたければ、ソーサーとして使って頂いても結構ですが、

If ! 単品で小鉢、小皿としてそれぞれお使いいただければ  "More than Happy"

 

私)  お好きな方のお皿をどうぞ

依頼主)いいえ、両方持って行きます

私)  セットでお使いになるのですか?

依頼主)まさかっ!お皿が見えなくなっちゃうじゃないのっ!

私)   ・・・・・

私)  でもソーサーは?

依頼主)あー、いいのいいの、ソーサーなんて普段使わないでしょ?

私)    ・・・・・

・・・・・だそうです。


では



 



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