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もんく [とある南端港街の住人になった人]

我らは漂海民の夢を見るか



旅に出る。それは出るからには帰る、それが前提になっている、その場合がほとんどである。帰らなければ、少なくとも帰ることが前提になければ旅ではない。

帰らないのであれば、引越しである。放浪と言うのもあるかもしれない。行った先に理想的な生活があるかもしれないが、人はほとんどの場合帰る。人生は生まれた時から連続していて旅先にそれとはかけ離れた素晴らしい何かがあってもそれは無意味である。

切り離された首をすげ替える事が不可能なように人生の時間はすげ替える事はできない。これまでの生活の中で得た習慣を全て捨てて理想的なそれに交換するなどできないのが普通である。せいぜい間近に見て感嘆ししばらくそこに留まるまでのこと。それはどうしても人生のアトラクションの1つにしかなりようがない。列の先頭で旗を降って案内してくれるガイドはいないにしても観光にすぎないのである。

ときにそれを人は自分探しのように意味付けて言う。悲しきかなそれは自分探し観光社の提供するツアーである。人生は時間によって連続しそれはなかなか変えられない。明日は今日の後に、今日は昨日のすぐ後に続く。そして緩やかにカーブするのみで空間を超えた瞬間移動は永遠にかなわぬ夢なのだ。
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