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もんく [とある南端港街の住人になった人]

そもそも人はどんな原理で動くんだろう?(改)

組織と言うのは常に最適じゃない人材を使って最適に近い結果を得ようとするものなのだ。

時分のところの作業員は全員外国。、ここに来るまでどの会社で働くか、何をするか、はたまたマレーシアのどの地域にそれがあるのかと言う最も基本的な情報すら知らないで連れて来られている。知っているのはマレーシアと言う事とだいたいどれだけ給料がもらえるか。が、住居費、光熱費、トランスポート、税金などでどれだけ差っ引かれるかすら知らない。(それで良く決断したものだ!)

それでも、実際の仕事に入って求められる事は以外に高度だったりする。

外国人作業員として働いてお給料だけもらってと言う安易な事は周りが許さない。本人たちは、例えばこの田んぼで稲刈り毎日できるだけずっとしてなさい、みたいなつもりで来るのだろうけれど。実際にはトレーニングを施され、書類に記入なんかも求められ、しまいには何かの判断までせよとなる。

実際に可能かどうかを考慮せずに。


そうなってしまう元はやはり雇う側にあるように思える。それは何かと言うと、思い込み、希望的観測、幻想のようなところから来ている。簡単に言うと、組織を構成したところで思考停止してしまうとか何かそんなような事かと思う。

つまりは、この組織のこの部署のこの人はこう動くのが理想と言うのが意識的にも無意識にも構成されてしまう。こうある「べき」が、実際にこう、本当はこうを押しつぶして見えないようにしてしまっているのに本人が気付けなくなるのだ。

組織の管理者を自認している人はそう言う、言わば脳天気に陥りやすい。長くやっていればやっているほどそうかもしれない。「べき」と言うのには全く根拠なんて無いと言うのに、なぜか人の頭の中では大きな位置を占める。


実際に、人はどう動いているかと言うと、観察するに、どうもすぐ周囲にいる他人との関係で動いているように感じられる。それは、関係を良くしようとか、自分の方がちょっとあの人より上だとか、立場の強い人には迎合して平穏に過ごそう、又はそれらの複合的な感情だろう。

上司から命令されて動くと言うのもあるが、それで動くのは限られた場合のみになる。上司が命令すればするほどその時だけの機関限定で動くけれども、これは全く長続きしない。長続きさせるためには毎分のように、機関銃のごとく命令し続けてている必要がある。もちろん、そんな暇があるなら自分でやれば良いわけで、このやり方には意味が無い。

命令が無くなるとまた人は元のバランスに戻り、周囲の人との関係を作るか維持するように戻る。これは組織図よりも上司よりも時に強力だ。そしてその部分を動機とした行動は強い命令よりも長続きする。

この事は、組織にとって良い方向に働くかそうでないかとは無関係だ。組織はその組織を維持するのを目的として動くようになると言うが、まさにその通り。組織の目的とは関係ない人間関係の維持が目的になるのだから。

よくある例は、あるグループは他のグループのサービス部門と言う位置付けであるのにその機能を果たせない、果たさない場合。よく見てみると彼らは自分のグループの内部関係を崩さないために動いている。グループのリーダー的存在の面目を保つために失敗しない事しかやれないとか、ある構成員が言った事が決定事項のように理解されそれを誰も崩せないような事。


そう思えば、組織図を描いてこうあるべき、に終始してしまうのは本当に全く意味が無いと言える。人の動きを左右するものは組織図のような目に見える簡単なもんではなくて非常につまらない空気のように目に見えない何かなのだ。組織図なんかを描いて満足しているのはマネジメントでも何でもないと言うべきだろう。
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