フォノイコライザーの代わりにプリメインアンプを買った。昔のアンプにはフォノイコライザーは必ず内臓されているし、値段的にフォノイコライザーを買うのとと変わらない。
フォノイコライザー、新しければ良いってものじゃないわけで、ある程度信頼できる製品ということになるとオーディオテクニカの物しかない。ヤマハのも考えたが古い割に値段が少し高い。というわけで構成上壊れ難いと思われる1981年製ソニーTA-AX2の安くて外観が良い物を選んだ。カバーを開けてみたが少し埃が入っていたのとインプットセレクターのムギ球が2つ切れている以外は全く問題無く、動作も正常だった。ありがたい。
電源ランプが無くてセレクターランプが切れているとONかOFFかわからないので、追って電球は交換しよう。
そして音だが、アンプとしてはそれほど良い音という感じはしない。もちろんレコード再生で聞いているのでレコードの録音が古いからかアンプのせいかはよくわからない。それに針も今はテスト用がついているわけだし。ともかくあまり多く求めるのはやめておく。
友人に「10年後にどこでどうしていると思う?」と聞くが、答えが返った試しがない。答えが無いというのもわからないではない。多くの人はこのままの状態が環境においても自らのことにおいても変わらないと思っているはずだから。ただし、漠然と。
今の状態がそれほど良いものでなくとも「変わる」よりはずっとマシなのだ。変わると多くのパワーを使ってしまうわけで、それは避けたいと考えるのが人情というものだ。
けれども、人は老いるし仕事環境は今の時代コロコロ変わる。そして経済だってこのままを続けるわけにはいかない。何もしないでいることの末路はどうしても地獄なのだから。と、まあ脅すこともないが、そんなことより何か一つでも諦めないでやってみるとか、行ってみたい場所でしばし過ごすとか、何かそういうことはあると思う。そして、それができる時間は限られているわけだから今の生活を途中で一旦区切ってそれをしてみるというのは無いものだろうか?
そういうことを10年程度の単位で考えて動いてみる。割と現実的ではないだろうか?
何無い?