本日も朝4時から粘土細工をやっていたがなかなか上手くはいかず、何度も失敗。
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そこで再度バナナをやってみる。
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これもバナナ。
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もう1つか2つ作る時間はあるかな?明日はまた活断層ハウスへ行くので。
人生において失敗というのを思い浮かべてみると、各時点における大きな失敗というのはその時点で失敗のように思えはするが、実はそれほど重大なものじゃないと振り返って思う。逆に本当の失敗というのは自覚し難いものだ。それは生活習慣の中にあって自分が当たり前だと考えていることの中にある。
例えばグズであるという癖。これなどは最たるもので自分がグズ野郎だとまず認識できないということがあり、その上そのグズによって失ったものを認識できないときている。
その他にもどういうわけか不愉快な時間を過ごすのに慣れてしまっているというようなのもある。正しさとか正義感というのもそれかもしれない。自分が正しければ誰かは不正義で間違いを犯しているということになるが、その認識によって得られるものは少ないかマイナスだ。
そういうわけで、結果を得るには年とってからということになる。まあ、何も得てはいないことに愕然とするだけなのだが。