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もんく [とある南端港街の住人になった人]

時間を意識する

少し前から♀猫のつぶあんが連続的に不調だったのが、最近は割りと元気にやっている。アレルギー、高熱と眠り病、菌感染、明日でやっと1日1回の飲み薬が終わる。その後1週間は何もせず様子を見て、その後にまた飲み薬が待っている。胴体の右側の穴のような傷はナメてしまうので回復が思わしくない。右手にも菌感染の症状がある。

それでも元気で夜と朝に散歩に連れて行けと言う。これだけ見ているとなんとも無いのだけれど、今後どうなっていくのだろうと思うと心配だ。猫によくある免疫不全になっているのじゃないかと疑っている。つまり、エイズみたいなもので、次々と菌やら何やらに感染してしまうのでそれへの薬は投与できるけれども、免疫不全そのものを治すことができない限り完全に治らないのだ。もし免疫不全だとしたら、つぶあんに来年と言う時間は来るのだろうか。


散歩に出て、ガードレールで仕切られた敷地の端まで歩く。いつもつぶあんは後からチョコチョコついてくる。道路をまっすぐに来ることはなくて、大概端に停めてある車の下を伝って来る。最後のところは大きなT字路だからその中央を走ってこちらに渡る。道路の排水溝に溜まった砂のところでゴロリと横になって頭だけこちらを向ける。お腹をさすって欲しいのだ。それをしない時にはこちらに向かって1回か2回、ニャーンと言う。

さっと横をすり抜けて歩道の上で座る。ただ、仲間と一緒にいるのが良いらしくて、こちらが動かないでいるとつぶあんも動かないでいる。虫かカエルがいるとそっちへ走ってちょっかいを出している。昨夜の月は大きかった。T字路のずっと向こうの小高い山の上に月に照らされたモクモク雲があって、そこから半分月が覗いていた。


つぶあんは月なんてどうでもよくて、ずっと道路を動く車のライトを見ていた。しばらくして家に戻るとつぶあんも戻った。すこしご飯を食べてまた2時間ほどするとまた散歩に連れて行けと言うので行った。月はもう高いところに昇っていて、舗装路を白く照らしている。つぶあん、またも道路の方を見ている。そのうち歩道にゴロゴロしてお腹をさすれと催促する。ちょっとやると満足して家に戻る。

こうした何の意味もないような時間があとつぶあんには何回訪れるのか、と思う。普通の野良猫でたぶん5年ほど生きれば良いだろう、家猫なら10年。つぶあんは去年の3月に産まれてまだ1年未満。同じような時に産まれた近所の子猫たちは知らないうちに姿を消してしまっていてそれほど増える事がない。

人間だっていつかは死ぬ。人間の場合は80年位生きられるらしい。でも江戸時代にはその半分近い50年程度だったそう。この歳になると残りの時間を意識するようになる。あとどれだけこの生活が続けられるのか、この仕事はどうだ、車を運転できるのは後何年....といろいろ。でもその残りの時間でも猫たちの寿命の数倍もある。せめてつぶあんには質の高い時間を、と思う。
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