もんく [とある南端港街の住人になった人]

映画「禅 ZEN」 - さわり

宗教と言う言葉は今やアイコンのような1つのオブジェクトになってしまっている感がある。

以前に、それはマレーシアで仕事を初めて少し経った頃に「ムスリムであると言うことは宗教を信じているにとどまらずそれは1つの生きかただ」と言う趣旨で話してくれた人がいた。(前にも書いたと思う。)そんな言葉をまた思い出した。

修行、世間では勉強と似た言葉として使われている。何かになったり達成するために身につけるスキルのようなもの。生きかた、と言う目で見ればそれは全く違う。結局は自分以外の何者にもならないのである。


などと思いつつこの映画を見終わる。

映画的には、"描く"ありきで始まっていてそしてそれに終始する。特にそれ以上でもそれ以下でもなし。世にある理想化された偶像をそのまま描くにすぎず、驚くこともなし。製作側がそれ以上に勉強しなかったのは師と仰ぐ人物を"描く"事だけを使命としたためか?、特定の人物の解釈が理想像を台無しにしてしまう危険を恐れたか、それとも単なる不勉強か?

その結果、歌舞伎役者の歌舞伎役者らしいアイコン化された演技がそのまま採用されていて、残念なことに面白くもなし。全体と各人物像の解釈も多分、あまりに現代的過ぎて歴史物を見ている気もしない。これも残念。

とりあえず、禅と言うものが何なのか全く知らない我々に"さわり"を見せてくれたに過ぎない。禅宗のパンフレット代わりだと思うことにしよう。
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