もんく [とある南端港街の住人になった人]

映画「静かな生活」 - 実感があるか

伊丹十三監督の作品にこれがある事を知らなかったが、国際交流基金のDVDリストにあったので見てみることにした。

「マルサの女」などとは全く趣の異なる作品だったのでどうしたのかな、と思いつつ見ていると作家、大江健三郎氏を描いているのだろうとだんだんわかってきた。ただ登場人物が"大江"と名乗っていないのが不思議に思えたのだけれども。


実物だか原作だかがあるのならこの分かりにくさは仕方ないのかなと後半ちょっとあきらめがついてくる。事件的なエピソードが出てくるので実際の大江氏ではないかもしれないが、きっと要素は本人とその家族なのだろうと思うけれども最後までそれはよくわからなかった。そんなふうに見てしまうと映画としてはちょっと楽しめないな、と、別の思いも顔を出す。

結局この映画の見方がわからないまま考えあぐねてしまった。分かりにくいのはあっちのせいなのか、それともこちらか?



人間と言うのは何を普通だと思って生きるかによってずいぶんと違う。

人間は常に自分の周りの環境について解釈し続けなければならない。家族の誰かにハンディがあることについてそれが自分の不利益になっているとか、そのために何らかの責務が発生しているとか、そう考えるならば自分の人生は何のためにあるのかと思うだろう。親が裕福でなくて経済的な苦労をすること、社会環境が充分に整っていないこと、嫌がらせのようなことをする人が近くにいること、住んでいる地域が不便であることなどいくらでもそのネタは転がっている。

どこかの山間部で毎日谷底から水を汲んでこなければならない人が、我々水道が完備されている地域に住んでいる人と比べて自分が世の中から不当な扱いを受けているとか同じように所得に応じた税金を支払っているのに不公平だと不満を言い、そして不幸だと感じているだろうか。たまにはそう言う人もいるにしても、たぶん多くのそうした人たちは幸福を感じている。

映画の中では一般的と言えるかどうかわからない特殊な事例が多く出てきてしまうのでなかなか一般化して思い描く事が難しく、つまり実感できない部分が多いと思う。

逆を言えば、見ているこちらも自分のこれが普通だと思っていて映画の中のことは特殊事例なわけだから、実感できなさはある意味こちらの幸せの証拠でもあるだろう。


何にしろ見方が難しい映画だと思う。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「映画って !」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事