こんな女に誰がした・・・ラク町お時
up-to-date 05.08.11の復刻です
(写真:「ラク町お時」 パンパンあるいは「夜の女」をとらえた、古典的とも云える一枚。有楽町/吉田潤氏撮影。後に写真集に収められるにあたって、この写真には、当時のヒット曲の題名がキャプションとして付された…「こんな女に誰がした?」 以上:岩波書店 「敗北を抱きしめて 上 」
ジョンダワー著 三浦陽一・高杉忠明 訳 より)
今年もまた敗戦記念日が近づいてきました。敗戦後の数年は、とても辛く厳しい時代でした。そんな時代のお噺です。
♪星の流れに身を占って~略~こんな女に誰がした…♪
敗戦直後の1947年(昭和22)年10月に発売され、爆発的にヒットした曲です。
「こんな女に誰がした」というフレーズが大流行したこと、そしてこれはパンパンの唄であること、皆さん、御存知のとおりです。
“ラク町のお時(とき)”…この名前をご存知の方は少ないと思いますが、彼女は、この唄のモデルの一人ではないかと思われてなりません。
ラク町お時は、有楽町界隈の娼婦パンパンの「あねご株」でした。手許の資料で見る限り、大柄グラマーでスタイル抜群の美人です。
「星の流れに」が発売される数ヶ月前の1947年4月に、NHKが19歳の彼女に、隠しマイクで街頭インタビューを試みています。 インタビューした男性アナは彼女を目に浮かぶような言葉で紹介した。「背が高く、顔立ちは端正で、水兵風の濃紺のズボンと薄紫のセーターを身につけ、髪は黄色のバンドで流行風に束ねている。顔はとても美しく、肌は透き通るように白く、眉毛は濃く、唇は真っ赤に塗っている。
しかし話をすると、やくざのように口元を曲げて話す感心できない癖があった」。 ラク町お時は「そりゃ、パン助は悪いわ、だけど戦災で身寄りもなく職もないワタシたちはどうして生きていけばいいの・・・好きでサ、こんな商売をしている人なんて何人もいないのョ・・・それなのに、苦労してカタギになって職を見つけたって、世間の人は、アイツはパン助だって指さすじゃないの。ワタシは今までに何人も、ここの娘をカタギにして送り出してやったわョ。それが・・・みんな(涙声になる)いじめられ追い立てられて、またこのガード下に戻ってくるじゃないの・・・世間なんて、いいかげん、ワタシたちを馬鹿にしてるわョ・・・」。
この放送は、全国にショックを与えた。この放送から9ヶ月たったころ、男性アナは、ラク町お時から手紙を受け取った。その手紙には「ラジオから流れる自分の声を聴いて私はショックをうけました。その声はまるで『悪魔のよう』で、それがきっかけで私は通りに立つのをやめて職をみつけました。世間の風はやはり冷たく、しょっちゅう挫けそうになるけれど、がんばろうと思っています」と書かれていた。
05.08.11 面白ブログが盛りだくさん「BLOG! TOWON」