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1300年前にタイムスリップ:真間の浦廻(ままのうらみ)
(写真上:真間川の畔に市川市教育委員会が設置した説明文)
葛飾の真間の 浦廻を漕ぐ船の
船人騒ぐ波立つらしも
(かづしかのままの うらみをこぐふねの
ふなびとさわぐなみたつらしも)
万葉集14-3349番、新勅撰和歌集1301番、作者未詳。大意は「葛飾の真間の入江を漕ぐ船で、船人たちが騒いでいる。波が立ってきたらしい」。
歌の背景と意味を掲示板は次のように説明している。↓
真間の浦廻とは、現在の市川市域の海岸線を指したものです。しかし万葉時代の海岸線は今日とは全く異なった地形だったと考えられます。
当時下総国府の置かれた国府台(こうのだい)をはじめ市域に属する下総台地の前面には、東西に長く市川砂洲がつくられていました。そして台地と砂洲との間には、真間の入り江が奥深く入り込んでいたのです。
さらに江戸川は上流から土砂を運んで、行徳の地域が形成されていきました。このような海岸線を当時は、真間の浦廻と呼んでいたのです。
海に近い下総国府には、国府の外港としての国府津(こうづ)が、この浦廻の何処かに置かれていたのでしょう。だから船人の騒ぎの様子も知ることができたのであり、そこはさぞかし、出船、入り船で賑わいを極めていたことでしょう。(平成二年三月 市川市教育委員会)
上記の説明で分かるとおり、奈良時代は下図のように海岸線が北方にせり出していた。今は、遙か南に下がってしまった。海岸線の南下が止まらないとすると、あと何万年もしたら本州は、沖縄と陸続きになってしまうのか!? あなた、心配じゃない?