
「人間ばば」
夏目漱石の「吾輩ハ猫デアル」がもてはやされた1906(明治39)年頃の話。
「新小説」(1906年5月号)という雑誌に掲載された「猫文士気炎録」という一文である。作者は、「カーテル、ムル口述、素人筆記」とだけあり、誰だかワカラナイ。
話は、欧州で百年も前に死んだ猫の親分が、「吾輩ハ猫デアル」の作者は「夏目の猫」であると誤解する処から始まる。
以下、「新小説」(1906年5月号)という雑誌からの引用(《 》内)…
《此頃日本の文壇で夏目の猫と云うのが、恐ろしく幅を利かして居ると、今は天国に居る吾輩の耳にも聞こえたから、或る方法を以て其著書を見た所が、表題に「吾輩ハ猫デアル」とあって下(しも)の方に夏目漱石著と出ている》・・・謎の声(猫の幽霊)は、そう語り始める。「夏目漱石著」とあるのを見た猫幽テキは、《猫の名が夏目漱石と云ふのだらう》と思うが、《吾輩は猫である、名前は未だ無い》と記されているの見て吃驚する。
《ハテ変なこともあるものだ。名前の無いものが夏目漱石と名告(の)る訳がない。何かこれには仔細のあることだらうと思って序文を読んで見ると夏目漱石とは人間の名前で、此名前の持ち主が猫に仮託(かこつけ)て著したものの様に見せ掛けて居る。
けれども吾輩の鋭い眼で看破して見ると、これは人の物を我物顔に済まし込む人間慣用の猾手段であることが見え透いて居る。人間社会では此様な横着手段を「猫ばば」にすると云ておるが、これは我々猫族を見縊た怪しからぬ言葉で聞棄にならぬ。自分共の方が余程質(たち)が悪く出来て居ながら、猫ばばもないものだ。此言葉は以来「人間ばば」と改正するが宜い。其人間ばばをする様な男は吾輩の眼中に無いから、吾輩は矢張り猫を著者と極めて置く。》
このあと、この猫幽テキは、夏目の猫が自分の著したものを、漱石にそっくり「猫ばば」ならぬ「人間ばば」されたのにも拘わらず、大人し過ぎる、猫善しにも程がある、著作権侵害の談判でも開いて閉口(へこ)まして遣るが宜いと悲憤慷慨する。
平成17年3月13日 B


夏目漱石の「吾輩ハ猫デアル」がもてはやされた1906(明治39)年頃の話。
「新小説」(1906年5月号)という雑誌に掲載された「猫文士気炎録」という一文である。作者は、「カーテル、ムル口述、素人筆記」とだけあり、誰だかワカラナイ。
話は、欧州で百年も前に死んだ猫の親分が、「吾輩ハ猫デアル」の作者は「夏目の猫」であると誤解する処から始まる。
以下、「新小説」(1906年5月号)という雑誌からの引用(《 》内)…
《此頃日本の文壇で夏目の猫と云うのが、恐ろしく幅を利かして居ると、今は天国に居る吾輩の耳にも聞こえたから、或る方法を以て其著書を見た所が、表題に「吾輩ハ猫デアル」とあって下(しも)の方に夏目漱石著と出ている》・・・謎の声(猫の幽霊)は、そう語り始める。「夏目漱石著」とあるのを見た猫幽テキは、《猫の名が夏目漱石と云ふのだらう》と思うが、《吾輩は猫である、名前は未だ無い》と記されているの見て吃驚する。
《ハテ変なこともあるものだ。名前の無いものが夏目漱石と名告(の)る訳がない。何かこれには仔細のあることだらうと思って序文を読んで見ると夏目漱石とは人間の名前で、此名前の持ち主が猫に仮託(かこつけ)て著したものの様に見せ掛けて居る。
けれども吾輩の鋭い眼で看破して見ると、これは人の物を我物顔に済まし込む人間慣用の猾手段であることが見え透いて居る。人間社会では此様な横着手段を「猫ばば」にすると云ておるが、これは我々猫族を見縊た怪しからぬ言葉で聞棄にならぬ。自分共の方が余程質(たち)が悪く出来て居ながら、猫ばばもないものだ。此言葉は以来「人間ばば」と改正するが宜い。其人間ばばをする様な男は吾輩の眼中に無いから、吾輩は矢張り猫を著者と極めて置く。》
このあと、この猫幽テキは、夏目の猫が自分の著したものを、漱石にそっくり「猫ばば」ならぬ「人間ばば」されたのにも拘わらず、大人し過ぎる、猫善しにも程がある、著作権侵害の談判でも開いて閉口(へこ)まして遣るが宜いと悲憤慷慨する。
平成17年3月13日 B


