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川柳「船橋屋」
(写真:「船橋屋」のくず餅。なお、現存する「船橋屋」は、「船橋屋織江」とは全く無関係の由)
古い川柳に・・・
●船橋を 渡ってきたと 菓子とふじ
というのがある。「菓子とふじ」は「菓子と藤」「菓子と富士」ではない。「菓子杜氏」(かしとうじ)だそうだ。
つまり菓子職人のことを酒造りの杜氏に見立てているわけだ。「船橋屋で修行をしたこともあります」と菓子職人が経歴を売り込んでいることになる。
船橋屋は浅草・雷門内の菓子舗で、深川佐賀町にも支店があった。支店すなわち「船橋屋織江」の開業は文化初年というから1804年頃か。船橋屋織江家紋 ・尾州御用 深川佐賀町
文化年間、ぼた餅一個はせいぜい五文くらいだが、「船橋屋織江」のは、ナント百文もしたそうだ。
こんな辺鄙な場所で、どうしてこのような高級菓子舗が成り立ったか。それは十一代将軍・家斉の手が養女のお美代についたことから権勢を握った中野播磨守・硯翁(せきおう)が、小梅(筆者注:竪川の「五つ目之橋」の北側一帯か?)に別荘を持っていたからだ。
酒を飲まないこの奸佞な人物への手みやげが深川河岸の菓子舗「船橋屋織江」でととのえられたからだ(西尾忠久氏説「鬼平犯科帳の世界」)。
現在、亀戸に現存する「くず餅・船橋屋」は創業文化2年と出ているが、この川柳「船橋屋」の流れなのか?
残念ながら、違う。
《ものの本によると、『江戸買物独案内』(江戸買物独-ひとり-案内)に広告をだしている浅草・雷門内のしる粉屋[船橋屋]のように、屋号を[船橋屋]とした甘いもの屋が江戸市中には数軒あるが、それらはみな、[船橋屋]織江の高名にあやかったものだ。
亀戸天神・南門前で葛餅を商い、現在は天神橋東詰で七代目・渡辺孝至さんがつづけている老舗[船橋屋]も、[船橋屋]織江方とは縁つづきではない。》・・・「鬼平犯科帳の世界」(文春文庫・池波正太郎編)254ページ。
蛇足になるが、この「船橋屋織江」は、「船橋屋伊織」と実名を変えて、池波正太郎の「鬼平犯科帳⑧『白と黒』」に登場する。
さらに、平岩弓枝の「御宿かわせみ」に毎度登場する蕎麦屋・長寿庵も、「船橋屋織江」の支店と同じく、深川佐賀町にある。現在の住居表示は「佐賀」となっており、永代橋を門前仲町の方へ渡って直ぐ左側である。
06.04.12