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怪談 「普通の人」
写真㊤:応挙の幽霊
いささか古い話だが、平成16年5月に国際的テロ組織・アルカイダのメンバーが、日本で逮捕された。新聞、テレビ等ジャーナリズムは、容疑者の隣に住む日本人の次のような談話を掲載ないしは放送した。
「…! そんな…真面目で礼儀正しく、近所付き合いも良く、あの人がテロリストだなんて・・・」
…と絶句して困惑している隣人の様子が伝わってくる。
だがこれは、ジャーナリズムとして、あるまじき行為だ。その理由はこうだ。
隣人の話は、「テロリストならば、礼儀などには無頓着で近所付き合いなど無視し、風体・生活もどことなく胡散臭くて然るべし」
…ということを無意識のうちに前提しているからだ。
ここには、犯罪を犯す者を一つの人間類型に填(は)め込もうとする意識が見え隠れしている。
ジャーナリズムによる、(一般大衆の無意識の意識を巧みに利用した)このような営為は、“犯罪者らしさという常識”や“犯罪人イメージ”を幻想的にでっち上げてしまう。
それにもかかわらず、ジャーナリズムは、こういった一般庶民の談話を掲載・放送するのを常とする。百も承知でやっていると言いたくなる。 つまり 国民の世論誘導 を図っているのではないか。
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他の一般的な国内犯罪(刑事)事件についても全く同様である。容疑者の周囲の人々の 「普通の人だった」 という談話を必ず掲載・放送する。
このようなジャーナリズムの営為は、社会の人びとを知らず知らずのうちに善人類型と悪人(犯罪人)類型に分類してしまう恐ろしさを秘めている。
この「普通の人」・「普通でない人」という単純極まりない二項分類は、やがて「普通の人という鋳型」からはずれた人間は社会の邪魔者という図式を作り出すだろう。
一体全体、普通の人とは、どういう意味なのか? よくわからない。
わかっていることは、普通でない人はいろいろな理由を付けて社会からはじき飛ばされてしまうということだ。
これは少しでも個性を持つと、たちまち普通でない人の分類に入れられて社会から排除されてしまうことを意味する。「イジメ」の問題とも通底しているような気がしてならない。
「個性を育てる」という教育方針が叫ばれて久しいが、これでは逆行している。
その目的・意図が…
ジャーナリズムによる一種の世論操作でない …という保証はどこにもない。不気味な話である。
どこを切っても同じ顔が出る金太郎飴みたいな国民を作り上げて、一番得をするのは誰だろうか?
げに現代の 怪談 である。
07.01.16