チュッシュ
「ティッシュ」の間違いではない。
私が未だ幼かった戦後間もない頃に、私たち一家は岐阜市内に移り住んでいた。岐阜市には、幼い頃から随分長い間住んだから、第二の故郷と呼んで良いくらいだ。
市内の忠節(ちゅうせつ)という所にある高校を卒業して、東京の学校へ入るまで住んでいた。
岐阜市忠節(忠節橋から長良川上流を望む)
小学生の頃、日本は「経済の高度成長期」に入る前であり、未だ敗戦の痛手から立ち直れず、国民の多くは貧乏だった。とくに食糧難、劣悪な住宅事情に苦しむ人が非常に多かったことを記憶している。

ご多分に洩れず、我が一家も市内の長屋に住んでいた。
そんなある日のこと、秋田出身の爺さんが、共同洗い場で見事な西瓜を洗いはじめた。

羨ましくて、ジッと見ていた。もう一人、いや二人…熊本出身の婆さんが、赤ん坊を抱いて、この光景を見ていた。この時代のことだ。皆、羨ましいのだ。
秋田爺さんが現れるまで、私はこの熊本婆さんの抱いている赤ん坊をあやして遊んでいた。あまりしつこく‘あやす’ものだから、熊本婆さんが「しぇわしいけん、あたりんなんなよ!」と、私を怒ったりしていた。
熊本婆さんが秋田爺さんに「その西瓜をどこで手に入れたのか?」という意味のことを聞いた。すると秋田爺さんは、西瓜を見つめたまま洗う手を休めずに、こちらをチラとも見ず、無言のままだった。口を利いたら「西瓜のお裾分けをしなければならない」と思っているのが、子供の私にも、手に取るようにワカッタ。
そんなことで怯(ひる)むような熊本婆さんではない。同じ質問を、二三度繰り返した。ヤット秋田爺さんが重い口を開き、ブッキラボウにボソッと言った。
秋「チュッシュ…」
熊「なに?」
秋「チュッシュ…」
熊「馬鹿ッ… 九州まで行って買ったと?」
秋「違う! チュッシュ…」
数回、同じ押し問答が繰り返された。
あとでよ~く聞いてみて判った。「忠節」とのことだった。
ひとつ長屋に全国処々の人びとが肩を寄せ合うようにして住んでいた、幼き頃の想い出。
平成17年5月22日
面白ブログが盛りだくさん「BLOG! TOWON」
「ティッシュ」の間違いではない。
私が未だ幼かった戦後間もない頃に、私たち一家は岐阜市内に移り住んでいた。岐阜市には、幼い頃から随分長い間住んだから、第二の故郷と呼んで良いくらいだ。
市内の忠節(ちゅうせつ)という所にある高校を卒業して、東京の学校へ入るまで住んでいた。

岐阜市忠節(忠節橋から長良川上流を望む)
小学生の頃、日本は「経済の高度成長期」に入る前であり、未だ敗戦の痛手から立ち直れず、国民の多くは貧乏だった。とくに食糧難、劣悪な住宅事情に苦しむ人が非常に多かったことを記憶している。
ご多分に洩れず、我が一家も市内の長屋に住んでいた。
そんなある日のこと、秋田出身の爺さんが、共同洗い場で見事な西瓜を洗いはじめた。

羨ましくて、ジッと見ていた。もう一人、いや二人…熊本出身の婆さんが、赤ん坊を抱いて、この光景を見ていた。この時代のことだ。皆、羨ましいのだ。
秋田爺さんが現れるまで、私はこの熊本婆さんの抱いている赤ん坊をあやして遊んでいた。あまりしつこく‘あやす’ものだから、熊本婆さんが「しぇわしいけん、あたりんなんなよ!」と、私を怒ったりしていた。
熊本婆さんが秋田爺さんに「その西瓜をどこで手に入れたのか?」という意味のことを聞いた。すると秋田爺さんは、西瓜を見つめたまま洗う手を休めずに、こちらをチラとも見ず、無言のままだった。口を利いたら「西瓜のお裾分けをしなければならない」と思っているのが、子供の私にも、手に取るようにワカッタ。
そんなことで怯(ひる)むような熊本婆さんではない。同じ質問を、二三度繰り返した。ヤット秋田爺さんが重い口を開き、ブッキラボウにボソッと言った。
秋「チュッシュ…」
熊「なに?」
秋「チュッシュ…」
熊「馬鹿ッ… 九州まで行って買ったと?」
秋「違う! チュッシュ…」
数回、同じ押し問答が繰り返された。
あとでよ~く聞いてみて判った。「忠節」とのことだった。
ひとつ長屋に全国処々の人びとが肩を寄せ合うようにして住んでいた、幼き頃の想い出。
平成17年5月22日
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