こんばんわぁ!
弊社最年長のおじい事、河野 司です。
本日2月21日は “漱石の日” について一筆投稿させて頂きます。
当時の文部省が文豪・夏目漱石(なつめ そうせき)氏に対して、その功績から文学博士の称号を贈る計画が持ち上がりました。
が、これを知った同氏は自分に肩書きは必要ないと提案を一蹴。
1911(明治44)年2月21日に、夏目漱石自身が称号付与を辞退する旨の手紙を時の文部省専門学部局長に送りました。
その気概に感銘を受けた有志たちが、後日、称号辞退の手紙を送った日となる2月21日に記念日を設けております。
この記事を見て、夏目漱石氏と小職の関わり具合をタイムトンネル風に自己中心的に書かせて頂きますと、先ずは、
1895年に漱石氏は松山の愛媛県尋常中学校に英語科教師として赴任され(小職も2013年1月から9年3か月間弊社愛媛支店勤務)、その時の体験談も含めて、小説“坊ちゃん”を執筆され、その後、その翌年1896年には熊本県(小職の出身地)の第五高等学校(現在の熊本大学)講師として赴任され、当時の体験談も含めて、小説“三四郎”を執筆されておられる。
小職の時代とは120年程前の時代の話で、さも時代劇風の話にはなりますが、明治時代の大文豪、夏目漱石氏とのこちらからの一方通行関わり合いのタイムマシーンに搭乗したような気分になってる今日この頃です。
お付き合い頂き有難うございました!
以上です。失礼します。今後とも宜しくお願い致します!