ぼろぼろな駝鳥
高村光太郎
何が面白(おもしろ)くて駝鳥(だちょう)を飼(か)うのだ。
動物園の四坪(つぼ)半のぬかるみの中では、
脚(あし)が大股(また)過ぎるぢ(じ)ゃないか。
頚(くび)があんまり長過ぎるぢ(じ)ゃないか。
雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢ(じ)ゃないか。
腹がへるから堅(かた)パンも喰ふ(くう)だら(ろ)うが、
駝鳥(だちょう)の眼は遠くばかり見てゐ(い)るぢ(じ)ゃないか。
身も世もない様に燃えてゐ(い)るぢ(じ)ゃないか。
瑠璃(るり)色の風が今にも吹いて来るのを待ちかまへ(え)てゐ(い)るぢ(じ)ゃないか。
あの小さな素朴(そぼく)な頭が無辺大の夢で逆(さか)まいてゐ(い)るぢ(じ)ゃないか。
これはもう駝鳥(だちょう)ぢ(じ)ゃないぢ(じ)ゃないか。
人間よ、
もう止せ、こんな事は。
高村光太郎(1958)「ぼろぼろな駝鳥」青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/001168/files/56694_55474.html
底本「近代詩の鑑賞」さ・え・ら書房
とても胸に響く詩です。
動物を飼うこととその動物が幸せに生きられるようにすること。
どうしても相いれないものです。
人は何処までも自分勝手ですから、無言で弱い動物は、我慢させられているように感じます。
命を頂いている私は、時々この詩を読んで、彼らに対する自分の関わり方を考えています。
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