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2019.9.27【大竹弘二|公開性の根源_秘密政治の系譜学/太田出版2018.4

2019年09月27日 | 《お》 _読んだ本・人・ブログ
公開性の根源_秘密政治の系譜学/大竹弘二|太田出版2018.4 /?/滋賀ほか
太田出版:紹介 http://www.ohtabooks.com/publish/2018/04/18000000.html
書籍の説明
 公開された情報そのものの真偽がわからなくなり、「ポスト真実」に政治が翻弄される現代。近代政治の起源において隠されたものとは何か? 公開性とは何か? 近代国家、近代政治の起源にまで遡り、今日における政治危機の本質を解明する。

 『本書の出発点となっているのは、例外状態が今日の政治のパラダイムになりつつあるという認識である。(中略)今日の政治は、執行が規範を踏み越える例外状態の常態化という観点から考察できるのではないか。そのような例外状態においては、「法の規範的側面は統治の暴力によってもののみごとに忘却され論駁されて」しまうのである。(中略)近代においては法や主権のような規範的審級によって政治の公開性が担保されてきたとするなら、例外状態はつねにその影として取り憑いてきた。その意味において、規範性を逃れるこの統治の位相は、近代的な公開性の政治にとって単に時間的な起源にあるのではなく、その「根源」にあるものと言えるかもしれない。』
(序論より)
目次
序論――前室の権力

第Ⅰ部 例外状態としての近代――秘密と陰謀の政治学
 第1章 主権 vs 統治
  1 民主主義と統治能力
  2 主権者の転落――カントロヴィッチとシェイクスピア
  3 二つの政治神学――シュミットに抗するカントロヴィッチ
  4 主権を超える統治
 第2章 政治における秘密
  1 現代の「アルカナ・インペリイ」
  2 神秘とアルカナ
  3 国家機械
  4 技術という起源からの近代国家の誕生
 第3章 陰謀、時間政治、コミュニケーションの秘密
大竹弘二

南山大学国際教養学部准教授。専門は現代ドイツ政治理論、政治思想史。主な著作に『正戦と内戦—カール・シュミットの国際秩序思想』(以文社、2009年)、『統治新論—民主主義のマネジメント』(國分功一郎との共著、太田出版、2015年)、訳書に『友愛と敵対―絶対的なものの政治学』(共訳、アレクサンダー・ガルシア・デュットマン著、月曜社、2002年)、『思惟の記憶―ハイデガーとアドルノについての試論』(アレクサンダー・ガルシア・デュットマン著、月曜社、2009年)、『真理と正当化—哲学論文集』(共訳、ユルゲン・ハーバーマス著、法政大学出版局、2016年)などがある。

朝日|好書好日
2018.07.01
国民主権 今あるべき形とは 大竹弘二・南山大准教授「公開性の根源」/高久潤)=朝日新聞2018年6月27日掲載
  https://book.asahi.com/article/11645360
 秘密政治の系譜学――。おどろおどろしく、だが現代性を感じさせるサブタイトルの大著『公開性の根源』(太田出版)を、大竹弘二・南山大准教授(政治思想史)が刊行した。現代の民主政治を語る時に欠かせない概念「主権」「統治」と「公開性」の関係を歴史的にさかのぼると「私たちがいま、主権の危機に直面していることが浮かび上がる」という。

 公開性とは何か。現代において、それは「主権(を持つ国民)による統治」を可能にする条件だ。わかりやすい事例が議会の討論。公文書の改ざんや隠蔽(いんぺい)を批判するとき、行政を担う政府に情報「公開」を求める。統治権力が私たちの主権の行使に服しているかをチェックする条件として「公開性」が語られる。

 本書が掘り下げるのは「公開性」という考え方が生まれつつあった16~18世紀の西欧社会だ。宗教的権威が失墜し、世俗的な王の権力が強まっていく中で「公開性」とは、その権勢を人々に見せつける形を取った。

 具体的に展開された一つの例が、「劇場」だ。バロック時代に舞台で上演されたオペラや悲劇は、儀礼・祭典として機能し、その公開を通して王の主権が証明された。実際、最古のオペラとされるペーリの「エウリディーチェ」は、仏の宗教戦争ユグノー戦争を終わらせて絶対王権の基礎を作った王の婚礼を記念してつくられたことで知られる。

 だがそうしたオペラや悲劇では、宮廷での妃(きさき)や家臣らの暗躍によって、王は意思を貫徹できなかったり、没落したり。「絶対」王権のイメージとは裏腹に、主権を象徴するはずの王の統治の混乱が描き出される。
 「儀礼や祭典が王の威信を公に示すものだったことには違いないが、王の周囲には、外からは見通せない『陰謀空間』が広がっていた。そこでは『秘密』をめぐった策謀が繰り広げられ、主権者である王さえ超える力を持っていた」

理念より利便性に統治される現代
 近代初期の主権と統治の関係は一筋縄では語れない複雑性を持っていた。なぜこの関係が重要なのか。

 「現代にも通ずる現象だからだ」と大竹准教授は指摘する。市民革命を経て民主主義が確立された19世紀以降、「公開性」ということばは、統治権力をチェックするための情報公開などの文脈で使われるようになる。三権分立の下、主権の「場」である立法府が行政府をチェックすることが重視される。だがこれは「理念としては重要だが、フィクションでもある」。

 例えば1929年の世界大恐慌直後のドイツでは、社会的混乱を収めるには、議会の立法手続きは時間がかかりすぎるとして、行政が法律を超えるほどの幅広い裁量権を持つことが正当化された。

 「こうした考えが示しているのは、近代国家の統治には、主権や法律を乗りこえていく力が既に組み込まれていること」だという。

 この議論を拡張していくと、国境を超えたグローバル企業の動向などの市場メカニズムに、現代の国家が右往左往させられていることの意味が浮かび上がってくる。主権者の決定プロセスを経るより先に、経済やテクノロジーが引き起こす諸問題を効率的に処理することが最優先されるのだ。

 「政治的な理念よりも、技術的・経済的な利便性によって統治されるのが現代です。他方、欧州などではこうした専門家統治への反発として、過激なポピュリズムも噴出している。こうしたなか、国民主権の正しいあり方をいま一度考える必要があるでしょう」(高久潤)=朝日新聞2018年6月27日掲載

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