1950年9月生まれの彼は、満州から引き揚げて来て日中友好協会に注力した父親を持った。一念発起して進学した日比谷高校で運動に身を投じた彼は中退し、大検で1969年に京大受験し落ちた。一浪の18才をデモと予備校で過ごし、東大に1970年入学した。全共闘運動ピークは過ぎており、彼の目には残骸と、新左翼党派の内ゲバしか映らなかったろう。
新左翼党派を中心とした三派全学連は、ほぼ1968年の前半で解体していたし、後半は全共闘に引きずられるようになってた。1969年9月5日の全国全共闘結成大会は、全共闘運動こそ盛り上がったが、街頭闘争以上の成果は見せなかった。笠井潔や糸井重里、坂本龍一の無残を同じように体験したはずだ。つまり学生運動の主流には彼はいなかった、高橋源一郎や、矢作俊彦などとその点は一緒。
上の話は、内田樹氏の著作とブログ「内田樹の研究室」(大学教員を退職して学生と接する機会が少なくなってからの記事は、、です。)から拾って構成した。
**彼のツイートとリツート
午後3:02 · 2021年2月11日
森喜朗さんはパターナリストですが、強固な右派イデオロギーの持ち主ではありません。むしろ理念の希薄さゆえに、調整役として力を発揮してきた人物です。一方、川渕三郎さんは、歴史修正主義的なイデオロギーの持ち主です。組織員会のトップとしては-50点の人から-100点の人に変わるという印象。
— 中島岳志 (@nakajima1975) February 11, 2021
午後3:09 · 2021年2月11日
森会長は辞任されるようだが、東京五輪開催にこだわり過ぎて、コロナ対策がおざなりになり、多くの方の命を危うくさせてしまっていることに対する責任はどう考えているのか。なぜ5632戸もある選手村をコロナ感染者の対策のために使わせないのか、命より五輪が大事と思っているからに違いない。
— 鳩山友紀夫(由紀夫)Yukio Hatoyama (@hatoyamayukio) February 11, 2021
午後1:59 · 2021年2月11日
これは海外向けどう説明するの?まだ森会長が辞める事が正式に発表されていないのに、後任がほぼ選ばれた。明日の会議の前に全部決定されたら、会議はいらないしすでに決定された事を発表して欲しい。 https://t.co/riUQpExZkE
— Karyn NISHIMURA (@karyn_nishi) February 11, 2021
午後4:04 · 2021年2月11日
こういう勝手な思い込みで特定国民を敵視し見下す「民族差別」の言動を、なんとなく見過ごしてきた日本社会のツケが、今いろんなところで顕在化している。こんなあからさまな「民族差別」の言葉を吐く人士が、東京五輪組織委の次期会長候補だという。何も反省していない。https://t.co/sMUCalftIL
— 山崎 雅弘 (@mas__yamazaki) February 11, 2021
午後5:02 · 2021年2月11日
川淵三郎が『Hanada』の愛読者であることをアピールするときには、その編集長が「ガス室否定論」を『マルコポーロ』という雑誌に掲載して雑誌を潰すことになった花田紀凱であることを付記しましょう。日本でホロコースト否定論が軽く扱われていることを象徴する事件です。
— 能川元一 (@nogawam) February 11, 2021
**彼のツイート
午後5:06 · 2021年2月11日
『自由論』11000字だん。アメリカの政治文化における「自由」の意味について書きました。建国時点で「自由」の対立概念は「連邦」だったんです。この明らかなカテゴリーミステイクにリアリティがあったというのはどういう政治状況なのか・・・という話です。
— 内田樹 (@levinassien) February 11, 2021
午後5:09 · 2021年2月11日
僕たちは「自由の対立概念は?」と訊かれたら「束縛」とか「統制」と答えるんじゃないでしょうか。でも、アメリカではそれは最初は「連邦」だった。自由と連邦をどう両立させるかという具体的な問いの中で憲法が起草された。
— 内田樹 (@levinassien) February 11, 2021
午後5:12 · 2021年2月11日
アメリカにおいて「自由」は歴史的経験によって受肉しています。「自由の問題」を考えるときに帰趨的に参照すべき具体的な状況がある。でも、日本人には「自由とそれと背反するもの」の間でなんとかして折り合いをつけた出来事について国民的に共有されている記憶がありません。
— 内田樹 (@levinassien) February 11, 2021
午後5:18 · 2021年2月11日
日本では市民には「圧制者と戦って自由を獲得しようとした」記憶しかないし、統治者の側には「自由を求める市民を強権的に統制してきた」記憶しかない。みんなで知恵を出し合って「どこまで市民的自由を制限することが許されるのか」を論じた経験がない。でも、自由論てそれを論じることなんですよ。
— 内田樹 (@levinassien) February 11, 2021
ツイートを読み始めた。少し時間をおいて読み直す。
**ネットの記事の表示は時系列が下から上にのぼっていく。私は、時系列、時間の流れ、いつの出来事かがすぐに混乱するタイプです。特に左上から右下に文字が流れないと、まず理解できない性癖を持ってる。で、記事を組みなおして読み直したいんです。
カテゴリを変更するかも、です。
by龍隆2021.2.11
2021.2.11おはら野の日記【内田樹|Twitterツイート: 『自由論』11000字だん。アメリカの政治文化における「自由」の意味について書きました
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by龍隆2021.2.11
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