◆SORAの小さな写真館◆
アタシが切り取る小さな世界 アタシが見た一瞬
あの頃の未来 アタシの記憶の断片をキミに
          
 
































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2001年に名鉄谷汲線が廃止となり 
それまで活躍していた3台の電車も活躍の場を失いました。














しかし


















そして














































































沢山の人の笑顔を乗せて走り

色んな人の想いや希望を乗せ走った

時には、人生の出発駅として送り出し

時には、終着駅として出迎えた

そんな昔の光景を思い描かずにはいられない。

ここは、そんな素敵な場所でした。




















*今回は携帯写メではなく OLYMPUS μ にて撮影 (撮影日 2012/04/17)


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*今回は携帯写メではなく OLYMPUS μ にて撮影 (撮影日 2012/04/17)



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谷汲線廃止後「赤い電車友の会」のご尽力により現在
谷汲線で活躍していた赤い電車755形と赤と白のツートンカラーの電車514形が
この谷汲駅と共に保存されています。

































*今回は携帯写メではなく OLYMPUS μ にて撮影 (撮影日 2012/04/17)


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幼少期より美濃の山里尾根谷に隠れ住んでいた継体天皇が、
都へ戻ることになったとき、
世話になった村人たちとの別れを惜しまれ、記念に一本の桜の苗を植えられました。

















岐阜県本巣市根尾坂所字上段995(標高204M)で
名木・淡墨桜(うすずみ さくら)は、千数百年にわたって生き続けました。

この淡墨桜は、桜の種類が300余種ある内でも名花中の上位にあたる品種で、
蕾のときは薄いピンク色、
満開に至っては白色、
散り際には特異の淡い墨を引いたような色になることから、
この名がついたと言われています。

千数百年にわたって生き続けた淡墨桜ですが、
衰えを見せ始めたのは、大正初期の大雪で太さ約四メートル一の枝が折れて、
本幹に亀裂が生じた頃からです。

その後、地元ではいろいろと保護に務めてきました。

昭和二三年頃には、遂に枯死するかと思われる状態になりました。
しかし、翌年昭和二四年三月 岐阜市の大工・中島英二氏ほか数名を率いて来村し、
二三八本の根接ぎを行い、往年の盛観を思わせるほどになったのです。
























多くの人々の努力により、
今日の淡墨桜があります。


















”身の代と遺す桜は薄住よ
      
千代に其の名を栄盛へ止むる”








この歌は継体天皇が、村人との別れを惜しまれ
桜の苗を植えられた時に詠まれたもので、
ご自分の代わりに残していく桜の薄住が、
村と共に末永く栄えるようにという意味です。



継体天皇の想いは、こうして千数百年の時を超え
毎年この時期には、この村に多くの人が訪れるまでになりました。


千五百余年もの生命、悠然たる姿には見るものすべてが魅了され
忘れかけていた自然の大いなる力を感じさせてくれます。










*今回は OLYMPUS μ にて撮影 (撮影日 2012/04/17)





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